【脊髄小脳変性症の克服ストーリー1】あれ?なんだかわたしの身体が変だよ | 治らないといわれてる難病だってどんどん改善~こころと身体の整え方と癒しをあなたにお届け~

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21歳で初発。病名もわからないまま過ぎてった月日。娘を出産後、37歳で脊髄小脳変性症と確定診断。遺伝はただただ型を決めるだけ。こころと向き合い、身体を整え、進行するだけと言われてる難病さえもどんどん克服。病院やお薬だけに頼らないセラピストのお話。


こんにちは、佐藤寿子です ^ ^
ブログをご訪問くださりありがとうございます!
 
福島県在住 / 3歳女の子ママ♪
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克服は困難とされている『脊髄小脳変性症』と診断され、
絶望と離婚を切り出すところから、こころと身体を学ぶ。

その学びから進行していくだけと言われているこの病を
少しづつ改善していっております。
マインドは本当に大事。

自分の未来は自分で創っていける♪
どんな未来にしますか ^ ^


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【脊髄小脳変性症の克服ストーリー1】あれ?なんだかわたしの身体が変だよ

 

 

 

 

 

 

 

『脊髄小脳変性症』

という病気はご存知でしょうか?

 

映画やドラマ化もされた

『1リットルの涙』

 

この主人公の女の子が

脊髄小脳変性症です。

 

この病気は小脳が

萎縮してしまうものなので、

歩行に影響が出たり、

飲み込むことに影響が出たり、

人によってでる症状は様々です。

 

 

17年前、当時21歳のわたしは

地元の福島から憧れの地でも

あった東京へ上京し、

少しずつ友だちもでき、

 

まいにち楽しく過ごしていました。

 

そんなある日のこと。

 

小さい頃から書道を習い、

字を書くことがだいすきだったわたし。

 

仕事から帰ってきて、

地元の友だちに手紙を書こうとしたら…

 

手に力が入りません。

 

もっのすごく力を入れていないと

ペンを持って字を書く、

ということが出来なくなっていました。

 

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地元に帰ったとき、

かかりつけでもあった

柔道整復師の先生に相談したら、

 

もしかしたら、

『書痙』かもと。

 

総合病院を紹介してもらい

検査をしてもらいましたが、

特に異常はなく….

 

え?こんなにも字が書けないのに?

 

ついた病名が『振戦』。

 

心理的なものだろう、と。

 

ただ当時のわたしも、

 

『薬飲めば、力は入れなきゃだけど、書けるしな』

 

と考えていました。

 

何もないとこでつまづきやすい、

舌っ足らずな話し方と

言われたりもしました。

 

でもわたしは特に気にせず、

逆にコレがわたしって

考えてたんです。

 

 

でも今こうして振り返ってみると、

なーーーんも考えて

なかったのかもしれません、、、

 

 

あの頃の自分に問いかけたいです。

 

「自分のことをちゃんと見てる?大切にできてる?」

 

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わたしは自分の心にも

身体にも無頓着でした。

 

でも、それが当時のわたしでした。

 

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