もときた源に

神聖さの中に

自己を消失させたいという渇望は

自己が望んでいるのではない

 

なぜなら

 

自己(エゴ)は

生き残るために

その存在を守り続けようとする

機能そのものだから

 

じゃあ、望んでいるのは誰か

 

源が

神聖さが

純粋な生命が

それを望んでいる

 

そう、だから

 

源に

神聖さに

純粋な生命に

体験させてあげなさい

 

自己が介入することなく

それを体験させてあげなさい

 

 

The sunset at Kapaʻa in Kohala