・・・・誕生日プレゼントで子供の記憶を伝えているけど聞いてるかい?!
母ちゃん。
母ちゃん!
・・・今日は誕生日だけど、71歳にはなれなかったね。
令和2年11月4日
俺の母ちゃんは進行性末期の肺癌で死にました。
呼吸の音がなんかおかしいな。
一回内科の病院で見てもらおうと母ちゃんを車に乗せて病院へ向かった日から僅か1週間で母ちゃんは息を引き取りました。
実家の膨大なゴミを撤去して掃除を徹底し、母ちゃんが再起を図って生活出来る環境を作り、飲食物は全て物資として届け続ける訪問介護と保護でお酒が縁遠くなり、ここ2~3年で統合失調症の症状が大分良くなっていて、仕事中に孫の面倒もみてもらえる位に回復していたのに。
小学校時代時代ぶりに、俺とまともな日常会話も出来始めていたのに。
孫が柔道で優勝すれば喜び、誕生日で孫が手作りの似顔絵をプレゼントをすれば感謝して笑う事も出来たのに。
俺とスーパーに買い物に行けたり、昼飯を食いに行けたりし始めていたのに。
普通な感情で喜怒哀楽を出す事が出来始めていたのに。
今まで1度も感謝なんてされなかったけど、飲食物を物資で実家に運んだ時に「買い出しありがとう。」って初めてボソッと言ってくれて、その回復が嬉しくて嬉しくて裏で俺は泣いていたのに。
やっと、まともな母ちゃんに嬉しいと喜んでもらえる親孝行が出来ると思っていたのに。
コロナが明けたら温泉行こうねって言ってたのに。
何で死んじまうんだよ母ちゃん!!!!
入院中、意識が無くなる前に母ちゃんの手を握った時、俺に向かって「手が荒れているから、ザーネ塗りな・・」とか言ってんなよ。
自分は肺が真っ白で吸っても吸っても空気が入らず、機会が無きゃ息も出来ない苦しい状況の中、最後まで俺の手の荒れなんか心配してくれんなよ。
「母ちゃん愛しているよ。」と言ったら少しだけ目を開けてくれて、俺の指を握り返してくれたよね。
統合失調症なのに、俺の事だけは絶対忘れずに、どんな時も世界で一番俺を心配して愛してくれたね。
最後の最後に母親の優しい声で「まさみつ・・まさみつ・・・」って俺の名を呼んでくれたね。
ずっと・・・ずっとそう呼ばれたかった。
母ちゃんが死んだ時、俺駄目だったよ。
泣いて泣いて又泣いて突っ伏した。
車の中で一人号泣しながら叫んだよ。
「母ちゃん嫌だよ!寂しいよ!」
43歳なのにいい歳こいて血管が切れる程泣き散らしたよ。
本当に悲しすぎて何も出来なかった。
妻の前で気丈な旦那も、子供達の前で強い父ちゃんも演じられなかった。
そこに居たのは母ちゃんが居なけりゃ何も出来ない、生きて行けなかった少年、子供の頃の俺だったよ。
母ちゃんが焼き場に放り出されるその前に、病院から実家に帰って来れたね。
もう動かなくて、冷たくなって行く母ちゃんの隣で約2晩、親子2人水入らずで話したね。
母ちゃんずっと飲みたかったであろうお酒もタバコも今日からは解禁だ♪
何十年ぶりだろうな~こうして実家で母ちゃんとゆっくり過ごせるのは。
最後の晩、寝る時に父ちゃんの遺影を母ちゃんの隣に置いた時にハッと気づいたよ。
43年間、死別と病気のせいでずっと俺達は離れ離れだったけど、最後の晩に家族親子3人が初めて一つの部屋で川の字になって寝れたね。
まぁ父ちゃんの遺影と母ちゃんのご遺体と生身の俺、なんだけどね。
それでもさ、子供の頃からの俺が描く念願の夢が叶った日、懐かしくも見慣れた実家の天井を見ながら、とても、ともて暖かく、嬉しい涙が溢れ出たよ。
そして、明日は火葬で形が無くなっちゃう最後の晩、母ちゃんの顔をこの目に焼き付けようと、メソメソと弱音を吐きながらジッと見つめていたら、本当に死んでいるのかドキッとする程に、穢れの無い威風堂々とした瞳を閉じた母ちゃんの表情が、臆病な俺の心に強く、そして優しく語り掛けてくれたね。
「将光。お前は私の子供ですよ。私はお前を生んですぐに、最愛の人を亡くしても歯を食いしばって立ち上がって来ました。将光もお母さんが死んで悲しいかもしれませんが、貴方にはもう守るべき家族がある。旦那であり父親なのです。親の死を乗り越えて、しっかりと悲しみに立ち向かう勇気と強さを身に付けなさい。将光なら、出来るよね。」
あの顔は俺にきっとそう言って諭してくれましたよね!
いつも、どんな時も優しく遊んでくれたお婆ちゃんと最後のお別れで言葉を交わして、目の前で衰弱して死んで行き、最後に火葬場で骨まで拾うという凄く悲しい経験をした挙句、いつも強い父親が見た事ない程に泣き崩れている。
そんな事を目の当たりにしたから、母ちゃんが骨になった翌日、息子の蓮は知恵熱出して寝込んじゃったんだよ。
その息子に「もうパパはトキ婆ちゃんが死んだ悲しみは乗り越えたから大丈夫だよ。もう普通、いつも通りだ安心しろ。」そう冷静に言えたのはあの晩、母ちゃんが最後の表情から俺に教えてくれたからお陰様で翌日には息子も元気になれたよ。
産んでくれて有難う。
育ててくれて有難う。
母ちゃんが俺にしてくれた事は感謝しかありません。
母ちゃんが身体を張って教えてくれた事に間違いはありません。
母ちゃんの子供で育った今の俺の人間性、色々な人から褒められています。
全部貴方のお陰です。
絶対に忘れない。忘れたくない。忘れさせない。
それが一番の供養だと思って今日も手を合わせます。
番外編その1に貼り付けた朝日の写真。
母ちゃんが死んだ日の早朝、日の出の朝日を撮影したもの。
俺がこの先歳をとり、高齢で記憶が薄れて行っても、日の出の朝日を見る度に俺は母ちゃんを思い出せるだろう。
母ちゃん、俺は貴方にもらったこの身体で死ぬまで一生懸命生き抜いて、教え通り大切な家族を守るよ。
母ちゃんはさ、もう母ちゃんじゃなくていいからさ、天国で父ちゃんと43年振りに男と女、夫婦水入らずで幸せに暮らしていてよ♪
俺が土に還った時には又家族3人川の字で寝ようね。
少しの間、さようなら。
愛する母ちゃんへ 将光より。