さびしい

 

最初にそう感じた。

 

正午のNHKニュースを見ていて、

 

その訃報に接したときの率直な思いだ。

 

 

 

 

 

いつかはこの日がやってくる。

 

これは、皆、平等にやってくる。

 

頭では理解していることなのだが、

 

やはり、感情はなかなか追いついてこないものだ。

 

 

 

 

 

前にも掲載したが、

 

大島さんの言葉は、

 

当時、どん底にいた私を救い出してくれた。

 

 

大島さんの生き方は、

 

愚直なまでに野球一筋で、

 

それは、なかなか真似ができるものではないし、

 

1人の漢として、その生き様、形を見せてくれ、

 

彼の人生は、まさしく、「生ききる」であった。

 

私も、大島さんのように、

 

できるのだろうか?

 

いや、おそらく、できないだろうし、

 

大島さんを真似るのでは意味がなく、

 

自分らしく生ききること

 

それが大事なのだ

 

そんなことも教えてもらった気がする。

 

 

 

 

 

大島さんとは、

 

言葉を交わしたことはないけれども、

 

ブログを通じて

 

彼の時より見せる優しさも好きだったなぁ。

 

例えば、腹水を抜く治療を開始する前、

 

新しい利尿剤を勘違いして服用していなかったっと。

 

おそらく、これは、主治医に責任とか負担がかからないように

 

配慮したのだと感じた。

 

なぜなら、そもそもそのようなことは書く必要がないのだから。

 

 

 

 

 

大島さんの闘病中、

 

ご家族の献身的なサポートも素晴らしく、

 

いつも感心していた。

 

いろいろな思いがあるかと思うが、

 

今は、大島さんを偲びつつ、

 

ゆっくりして休んでほしいと思う。

 

 

 

 

 

大島さんのブログを見るのが、

 

私のルーティンでもあったので、

 

これからは更新されることがなく、

 

食いしん坊の彼が食べる様や、

 

言葉が聞けないと思うと、

 

実にさびしい。

 

ただ、今頃は、あっちの方で、

 

祭ちゃんと一緒に遊んでいるのだろうと思うと、

 

ちょっとだけ、救われる気がする。

 

 

 

 

 

大島さん、

 

これまで、いろいろな言葉を投げかけてくれて、

 

ありがとう!

 

その言葉たちは、

 

やがて、私の中で昇華されていき、

 

引き継がれていくであろう。

 

そして、これまでのいろいろな辛さ

 

困難から解放され、

 

どうか、ゆっくり休んでほしい。