
悠久の丘は
火葬場併設葬式会場です。
実際は
もっと広大で
立派な施設です。
ここで
お通夜→告別式→火葬
すべて終わります。

↑
父の時のでは
ありませんが
こんな風に
お通夜は
帰宅していいんですが
霊安室に
父を1人に
するのが嫌で
宿泊施設で
父とくぅと
チィ兄と姫ポンで
泊まりました。
宿泊施設も
トイレ浴室から
全て整い
快適でした。
相当大きな
施設なわけですが
空きがなくて
31日から4日の
お通夜まで
父は
実家にいました。
帰りたかった
家ですから
父は喜んでたはず。
父は自衛隊を
定年で退官してますが
同期はもう
ほとんど
他界されてますし
多くは
父の兄弟と
母の身内や繋がりで
母は
ほとんど
お付き合いもない方に
知らせるのは
嫌がりましたから
それでも
母の方だけでも
沢山の方々が
来てくださりました。
家にいる間も
母もくぅも動き通しで
夜やっと
ゆっくり母と呑んで
思い出を
語りました。
お互い
うるうるはしても
泣くことは
ありませんでした。
一年近く
病院に通った母は
何の悔いもないと
ろくに
行けなかったくぅは
悔いしかないけど
それでも
後悔はしません。
過去は時効
それが
父の口癖でしたから。
実家でずっと
父といられたことと
お通夜の夜も
一緒にいられたので
後悔しません。
実家は
浄土宗で
代々の墓が
あるのですが
浄土宗でも
我が家は
宗教には無関心なので
でも
とにかく
お墓がありますから
くぅが何とかしないと
永代に
しなければならない。
だからでしょうか?
最後に
ご住職が
数分母の手を握り
お話した後
くぅは
15分以上
手を握り締められた
まんまでした。
くぅは
自分が逝ったら
ささっと焼いて
海にまいてと
キッズに
言ってましたが
お墓を守る
ということは
それでは済まないと
痛感しました。
くぅは
ひとりっ子ですから。
くぅは
香典を一人っ子の
常識な金額を包み
当然
生花と盛籠も。
父の兄弟は
妹4人いるけど
1人が
生花が高いの
香典だって
出さなきゃ
ならないのにと
生花なんて
4姉妹で出し合い
一対を
出せるじゃないですか
くぅみたいに
1人じゃないのに…
父が眠る部屋の隣で
わめく。
長女が「お兄さんの隣で
やめなさいよ」と
言うと
「聞こえやしないわよ
死んじゃってんだから!!」
聞こえてますよ
父にちゃんと。
早くに
親を亡くしたから
父が
育てた妹達なんですよ
何が哀して
父の死より
そういう事を
耳にするのが
哀しでした。
位牌は母
隣でくぅが御膳
隣に父母を
大好きな父の妹(三女)が
写真
隣にチィ兄が
遺骨
隣に姫ポンが花束。
そうして
終わりました。
疲労が
極限に達していたため
実家に帰り
ひと休みして
チィ兄と姫ポンと
5日夜
帰宅しました。
終わってしまえば
瞬く間でしたが
疲れは
日増しに酷くなり
何かを
考える事さえ
きついです。
父のおかげで
遺族年金が出ますから
母は食べていけるし
母を慕う人に
心も助けて
もらえます。
でも
母だって
もう71です。
ずっと
父といた母を思うと
今後を考えます。
考えるけど
考えられないんです。
頭が
ぐちゃぐちゃで。
ぐちゃぐちゃで
ぐちゃぐちゃで
心には
大きな穴が
開いたよで
音楽聴いても
雑音にしかならないし
何の
気力もなくて…
四十九日までには
しっかりしますね?