こんばんはスター




ニュースでもやっているように

東日本大震災から13年経ちますね。






皆さんは震災当日、どこで

何をされていましたか?






私事になりますが

今回は当日の様子を振り返って

みたいと思います。

記録用みたいな感じになっちゃうかもですが

もし、ご興味ありましたらで🙏ご覧ください🙇💦







私は、地震発生時、

電車の中にいました。






突然、電気が消えて

車両が蛇行したのを覚えています。






脱線かアセアセと一瞬覚悟したほど

怖かったです。






私が乗った電車は

すぐに近くの渋谷駅に停車しました。






電車はずっと運転見合わせ。

ホームや駅には人がいっぱい。






私はなんとなく、長丁場になる気がして

キオスクで携帯の充電器を

買いました。






一通り、家族や夫(結婚前)

大切な人たちと連絡がつき






それから

私の長い1日が始まります。。






電車の運転再開を願って

近くの喫茶店で時間を潰してみたり



公衆電話から、家族に電話をして

状況を伝えたり。。

携帯電話が繋がらなかったのかなあせる

その辺は覚えてないのですが 。

公衆電話も長蛇の列でした。




この際、近くのビジネスホテルに

泊まろうと試みるもすべて

埋まっていたり。





そんな感じで、長い時間

渋谷にとどまりましたが





ホームで寝るわけにも

いかないので、私は一か八かで、

歩いてみよう!と決心しました。

歩いて家に帰れるわけがないのですが

1駅でも進めば状況が違うかもしれないと思ってあせる






3月でしたが、暗くなってくると

寒くて寒くて。





ジャケットに薄手の七分丈のニット

パンプスで歩く私はすぐに

心折れそうになりました。






無法地帯のように

たくさんの人が道路を歩く中

私もその流れに乗り






行き先も分からないまま

どこかの駅に着くことを信じて

みんなと同じ方向にひたすら

歩きました。






無料で温かい飲み物を

配っている飲食店もありました。


ファミレスは、もう全席埋まっていて

入店制限が出ていました。






そんな光景を横目に

歩いたことを大後悔しましたが

ここまで来たら、もう

引き返すわけにも行かず。。





不安過ぎる中

もくもくと歩くことしか

できませんでした。





クローバークローバークローバー





しばらく歩いていると、左側に

小学校?が見えました。






「ここで休憩してくださーい!」

懐中電灯を持ち、手を回して

誘導している人がいる!!





もしかして学校の先生かな!?

体育館で休めるっぽい!!






それを見て私は、泣きそうになり

緊張の糸が切れてたぶん泣いてた😭

迷うことなく、小学校に向かいました。





どこの小学校かも分からないままアセアセ

泣き顔で、職員の方と何かを話し

体育館に案内されました。






体育館には何人かの人が

ストーブの前で暖まっていたり

横になって休んでいました。

毛布の支給もありました。





私は寒くて仕方がなかったので

すぐにストーブの目の前にいきました。


そのストーブにはすでに何人か暖まっていました。

私も輪の中にいれてもらいました。

暖かくて生き返る😭






みんな同じ状況下なので

自然と会話が生まれます。






「どこから来たんですか?」

「歩いてきたんですか?」

「すごい状況みたいですよ」など。






少し会話するだけでも

ホッとする~泣くうさぎ






そして、私は全くこの状況が

分からなかったので







解放されてある教室のテレビを

見に行きました。






そこから流れる情報は

言うまでもなく悲惨なものでした。

言葉になりません。





楽しい雰囲気の教室に

深刻なニュースが相反していて

それがまた恐怖を煽るアセアセ







体育館に戻り、毛布は借りたけど

眠る気にもなれなかったので

ずっとストーブの前で起きていました。


夫や(結婚前)友達がメールをくれて

なんとか平常心を保つことができました。

充電器を買っていたからよかった!!





私は、一緒に暖まっていた

マダム3人の方たちと世間話して

過ごしていました。

それが、本当に心強くて助かりました。

ここの人全員が友達のように感じました。






外が明るくなり始めた頃






一人のマダムの方のご主人が

車で迎えに来てくれるとのこと。






なんと





「一緒に乗っていかない?」

と私まで声をかけて下さったのです泣くうさぎピンクハート





一緒にストーブで暖まって

いただけなのに





そんな私にまで

声をかけて下さるなんて

もう嬉しくて嬉しくて。






私は正直、声をかけられるまで

自分はどうやって帰るかなど

考えていなかった気がします。


そんな余裕がなくて

目の前の現実でいっぱいいっぱいでした

頭の中がめちゃくちゃでしたね。






マダムのご主人が

運転する車に乗せてもらい



運転再開している近くの駅で

降ろしてもらいました。





無事に電車に乗り

ある程度、最寄り駅まで

進むことができたところで





父に車で迎えに

来てもらいました車

携帯電話が繋がったのか、公衆電話から

かけたのかは覚えていませんあせる






これが私の3.11でした。






出先だったので

一体何が起きているのか分からない恐怖。  




一人で判断して行動しなければ

ならなかった孤独感。




人って優しい、

涙が出るほどあたたかい。





それと、充電器はとっても大事!!

日頃から家族の電話番号は手帳などに

書いておくと何かといいかも。




そんなことを感じた日でした。







私の親戚の多くは、宮城県にいますし

みんな無事でした




津波の被害にあった場所は

母とドライブをしたことが

ある場所なので





到底、他人事には

思えませんでした。







東日本大震災から

13年は経ちましたが






心の部分で、年月では

解決できないことがあると思います。





私でさえ、帰宅困難者になり

体育館で一夜を過ごしたことは

衝撃的な出来事として

今も胸にあります。







被害に遇われた方々に心より

お見舞い申し上げます。





みんなが穏やかに過ごせる瞬間が

少しでも増えていきますように。