今日はなんだかブログ欲がすごいのでどんどん書きたいと思います。

私は小中学生の時野球をしていたのですが、今回は小学生の時一緒のチームだった2個上の先輩の話です。

名前はA先輩とでもしておきましょう。

A先輩は体が大きく、とても小学生には見えませんでした。

小6の時にはすでに170㎝を超え、筋骨隆々でした。

大きいだけではなく、身体能力抜群でスポーツでは何をやらせても向かうところ敵なしでした。

私は家が割と近かったのもあり仲良くしてもらっていました。

A先輩は4番ピッチャーで、打ってはその小学生離れしたパワーでホームラン連発。

投げては120キロ超の剛速球で相手チームは待球作戦しかありませんでした。

出塁するには四死球か、振り逃げしかないといった状況でした。

キャッチャーの先輩は速すぎるA先輩の球を捕れるようになるため、お父さんに至近距離でボールを投げてもらって捕る練習したらしいです。

とにかくA先輩は近隣の市町村の少年野球関係者なら名前を知らない人はいないほどの有名人でした。

こういう人がプロ野球選手になるのかなと思っていました。

私だけでなく当時A先輩のプレーを見た人はきっと誰もがそう思ったと思います。

プロ野球選手になったら、小学校の時A選手と同じチームだったと自慢できるなと思いました。笑

ついにはA先輩はプロ野球のジュニアチームにも選ばれました。

各プロ野球チームは、ソフトバンクなら福岡、中日なら愛知といった具合に各都道府県で有望な小学生を選抜して試合をしていました。

今もしているかもしれませんが。

 

中学生で少し野球ができる子たちは学校の部活には入らずシニアリーグやボーイズリーグのチームに進むことが多く、A先輩にはもちろん県内外から多数のチームが声を掛けました。

結局A先輩はわりと家から近い、シニアでプレーすることになりました。

それからの2年間は私はまだ小学生でA先輩は中学生だったのでほとんど接点はありませんでした。

1年からレギュラーを取って相変わらずホームランを量産しているという話は聞いていました。

私が中学に上がった時、A先輩は3年生でした。

私はボーイズリーグでプレーしていたのですが、そこでもその名は知れ渡っていました。

私が小学校の時同じチームだったと知るとほかの人からいろいろ質問されたりして、なんだか誇らしい気持ちになりました。

一方でA先輩に関してはよくないうわさも聞いていました。

タバコを吸ったり、授業妨害したりと要するに素行不良で成績も不良だったのです。

まあもともと小学生のころから何かと問題を起こしていましたけど。

私が言えた話じゃないか。笑

中学生にとって2歳差はとても大きく、私は正直久しぶりに見るA先輩が怖かったです。

A先輩は180㎝を超え、ほかの中学生と比べると大人と子供でした。

中学で一緒だった1年間、私はA先輩と話すことはありませんでした。

 

A先輩は高校進学時にも全国の多くの学校から声がかかりました。

嘘か本当かわからないようなうわさがいくつも飛び交いましたが、A先輩は甲子園に何度も出場している某名門校に野球特待で進学します。

中学まではピッチャー、バッターどちらもこなしていたA先輩ですが高校ではバッターに専念します。

しかし足も速く肩も強いので野手でも何の問題もありません。

またまた1年でレギュラーをつかみ取り、3年時には主将を務めましたが激戦区だったため3年間とも甲子園出場はなりませんでした。

私が高1の時、A先輩がドラフトに指名されるんじゃないかといううわさが入ってきました。

まあ指名されても何ら不思議はありません。

甲子園出場はないので下位での指名か、育成契約ではないかといううわさでした。

そして迎えたドラフト当日、A先輩が指名されることはありませんでした。

これも噂ですが、下位指名では嫌だとA先輩の両親が文句を言ったとか何とか。

下位とか育成契約じゃかっこ悪いし契約金も安いと思ったんでしょうか。

幸いにもA先輩の高校は大学の付属校だったため大学に進学しますが、それも1年生のうちに退学したらしいです。

それから独立リーグでプレーしたこともあったらしいですが、結局A先輩は野球そのものをやめてしまいます。

かつて将来を嘱望されたA先輩は、今は土木建築会社で肉体労働をしているらしいです。

私は同じ市内で引っ越しをしたため、今はA先輩の家とはそれほど近くはありません。

A先輩と最後に会ったのはいつか思い出せませんが、おそらく中学生の時が最後だと思います。

私はA先輩の事例を見てアスリートのセカンドキャリアがいかに大切か実感しました。

長くなったので、近いうちにアスリートのセカンドキャリアについて思ってことを書きたいと思います。