先日、ちらっと北斎について語っている番組を見ました。
葛飾北斎という人は、
目の前にはいつもニンジンがぶら下がっていて、に向かった人だからこそ北斎の作品が生まれたと仰ってた。
その番組にいた方が、
人が満足してる時って、満足する手前にいる時より幸福感は浅いと話されててね。
だから、
北斎は自分で自分の目の前にをぶら下げて、
“もっと!もっと描きたい!もっといいものを描く!”
と死ぬまでやっていた人だったのではないかって
それを見て、
あぁ、そんな考え方もあるよね。
と思ってる自分に少し驚きました。
こんにちは、
気付きが大好きな せちです。
わたしは、ついこの間まで
“目指すものの手前で辞めてしまう癖があった”と思っていました。
目指すものを手にすると、
そこで私の成長が止まってしまうと思ったんです。
成長が止まるなんて、なんてつまらないことなんだ!!って思ってました。
でも、それって…
世界が広がっているのか、いないのかなんか微妙ね?
って少し感じてました。
人が感動するものって、
そこを超えた先にあってもいいんじゃないかしら?
目指すものに到達した時に
そこで満足して止まることも出来るけど
到達した時に
やっべー!
俺はもっと描けるわ!
って自身の才能の豊かさに笑ったのかもしれないなぁって、それを見ながら思ってた自分がいたんです。
描いてみたら、
やべ!まだまだ描けるし!
という連続したものが北斎にあったかもしれない。
それを思ったとき、
あぁ、わたしは、
そこ超えたいんだなぁって。
既に超えたいと思っていることに気付きました。
思っていたモノを
超えた世界をみたい。
もっともっと見える世界が広がる体験を重ねていきたいんだ、わたし
連れてってあげようじゃないか!
って、思わず自分に約束しちゃって、
やばし!わたし、大丈夫??ってツッコんだビビりぃです
でも、そんなこと思いつつも
やっぱり心の中では
連れてってあげようって思ってます。
だから、
目の前にぶら下げるニンジンなんて、
わたし、要らない。
目の前のニンジンは美味しくいただいて
また、新鮮な新しい何かを美味しく頂きます
せち