ひょっこりはん みたいに出てきた本音 | The yoko's room〜もっとdeepに感じていこう〜

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路地に惹かれ、珈琲が好き♡

そして、何より、
感じること、気づきが大好きです。
心が、喜んだり、悲しくなったり、怒ったり、笑ったり…丸っと自分を受け止めて、自分のまんま、deepに味わって生きたい。わたしの想いです。

この頃は、自分の本当の音が聴けるように、
ちょっとだけ自分の「本音」に意識しています。

ホントに ちょっとだけ意識してるだけなつもりなのに

現れ方が…

少しエグくて

びっくりしますあせる


いつのまにか
閉じてしまった
蓋の扉を
開くのは…

アナーター♪

あなーたー♪

あなーたー♪
なの笑い泣き


この頃は
息子が成長するにつれ

息子の奔放さや 簡単に「できないからやって」と表現しては、
やすやすと助けを得る息子をみて…
わたしは何か自分の中に
引っかかるものを感じていました。



息子はまだ子供
自分の子供

信じたくない感情を見つけて
たまらない気持ちになりました。



息子がわたしにスネた感じを見せた時、
わたしは息子に罪悪感を感じます。


彼にいくら注意しても
彼がマイペースの時は
ワナワナしそうになります。

わたしが息子に対して
そっけない態度になると、
息子はスネはじめ、
どうしていいかわからなくなります。


その時、“あ。なんか蓋した”
そんな感覚を自分に覚えました。

それで、何に蓋をしたのだろう?
と見つけてみると

“ずるい”

“そんなこと、
息子に対して思うことだろーか?”

頭のどこかで
そんな言葉が聞こえてきます。


どうしてそんなことを思うのか…

わたしが“蓋をする時”には
だいたい同じ現象でそれをやっているように思います。

だからこそ
ちゃんと見ようと思い
“ずるい”と感じる正体を露わにしてやろうと思いました。


わたしは、子供の頃から、愚順な人をみるとイライラしてしまうたちでした真顔

大人の頃には
神様に
わたしの前にそのような人を表せないでくださいと願うほど


だけど、
そんなことを願うことが
十何年かに一変?
巡ってくるのです
(なぜですか?)

そんなことを息子をきっかけに思い出し、
なぜそんなになるほどの感情がわくのだろうと…

やはり出てくる言葉は
“ずるい”でした。


わたしは
ずっと親の機嫌をとりながら
小さな頃から一人暮らしをするまで生きてきました。

もともと愚順な自分なのに
親の機嫌が悪くならないように
あれもこれも出来るように
本当に頑張ってきたのです。

もともと気がつかないタチなのに
自分でやるしかないない!と決意し、

ひとりで何でも出来るようになって
この家を早く出るのだと誓い、
めちゃくちゃ頑張って生きてきました。



愚順であること
気が利かないこと

わたしはそれが
出来る人でもあり
出来ない人でもあり

そんな両面を持っているのだと
社会に出て周りの人に教えてもらいました。

でも、
自分が嫌悪するものを自分も持っているなんて、信じられないし、
信じたくありませんでした。


でも、
自分を見つめていくと確かにわたしも同じ質を持っている。

なのに どうしてイライラしてしまうのか?


息子が蓋をこじ開けて
わたしに多大なる罪悪感を抱かせる。

本当は、
罪悪感を抱きたくない
そんな親になりたくない
と思わせてくれたからこそ対峙出来たように思います。


…………


羨ましかった。

とてつもなく
羨ましかったんです。


どうして
蓋をしたのか


“ずるい”なんて本音を出したら
ずっとずっと…長い間

一生懸命頑張ってきたわたしが
わたしを否定することになる

惨めになる

惨めなわたしは
わたしが許さない

ぜったいに。


だから、
無意識に
瞬間的に
蓋をして
本音を隠すことが出来たのです


………


打ち上げ花火のような閉じ込められてきた感情がひととおり治まってきたとき、

なんとも言えない自分への慈しみの気持ちが湧いてきました。


息子に対する罪悪感

もう手放せる

もう
頑張らなくても
頑張れなくても
頑張っても
いい

みんなあっていい
もうなにがあったっていいのだ


いつもいつも
自分が理想通りにいかないことを罰してきました。


だけど、
理想も親への感情も
わたしだけのフィクションのように思います。

同じ環境で同じ時代を生きてきたわたしの姉弟が
まったく質の違う人生を送っているのをみて、そう思います

そして、
息子が、時々勘違いしたまま自分でストーリーを作り、どれだけそれが本当ではないと伝えても、彼は自分の考えを信じ、母のせいにしますw

そんなことを体験してみると
わたしも同じなのだ
と思います。

大好きな親なのに
頑張れない自分をここまで頑張らせて…ひどい。

そんな想いを抱いてしまった自分に対して、それは「ダメなこと」と蓋をしてきました。


大好きな親に対して
大きな怒りを握りしめていたことを
やっと知ることが出来ました。


そして、
それに気づいてから
息子のことを思い出し、自分の自作自演であることを理解しました。

このストーリーを自分では作ったのは、
きっとわたしの人生に意味があるからなのだと思います。

でも、
まだちょっと
それがどうしてなのか
…今は辿り着けませんが

まぁ…そのうち勝手に
辿り着くのでしょう


この人がまたキッカケをくれるんだと思う

今日もありがとう



love & free せち