友人が、自分を解き放つあるワークショップに参加した時のコトを話して
くれて、印象深くのこったものがありました。
参加した人、全員が 自然にひとつとなって、
最後は何かに捧げるような表現をしていたと。
ふと・・・ですが、
よく耳にし、言われる宇宙とか大いなる自分とかに
生き方を表現するコトが、
「捧げる」ってことなのではないかって
その時、聞きながら思ったのです。
「表現する」とは「芸術」と感じるこの頃。
(秋ですしw)
今、自分を断片にしてみると、
自分という生き方
母として
妻として
マックの飼い主として
娘、妹、姉、○さんの友達、○さんの知り合い
…
たくさんの側面を持っている
札幌で仕事をしていた時、
仕事が楽しくてしょうがなかった時がありました。
オンとオフのように、
仕事と家を区別していたけど、
「区別」ではなく、
言葉の表現はかたいけど、
「役割」と考えたらどうなんだろうか?と自分に問う
「役割」を「役」として、
母を妻を…自分をどう表現するか
…そんなことを考えなくても、
常にこの瞬間を
絶え間なく表現している
自分の生き様を表現している
宇宙とか、なんだかわからないけど、
生きているって表現しているってことで、
わたしという人間の表現そのものが芸術なんだと…
(芸術にシンパシーを感じるので「芸術」という言葉でわたしは表
現しているだけですが)
わたしという人間の生そのものを
その作品を捧げている
そう思ってしまったら
今までの無意識の作品から
意識的な作品が
「いま」から生まれてくるのかもしれない
と感じてしまう
「何かしなくては」と
自分の使命を探すのも作品だけど、
探さなくても、
今 この瞬間の連続に
自分が生まれおちたこの生を
絶え間なく表現して作品を作り続け
宇宙やらその何かに、そして、「わたし」に捧げている
本当の自分を…という言葉も聞くけれど、
表現者として、
本当じゃない自分なんてどこにもいないのではないか?
そして、
それは使命をまっとうしていることと同じことではないのだろうか
って思ってしまうこの頃なのであります…