きょうは西風が強い。しかし、ときおり日差しが照りつけ、部屋の奥まで12月の光を届けてくれる。
朝からティボール・ヴァルガのバッハを聴いていた。
J.S.バッハ
オーボエとヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1060a
ヴァイオリン協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1042
2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043
ティボール・ヴァルガ Vn及び指揮
ギルバート・ヴァルガ Vn
ゲルノート・シュマルフス Ob
ティボール・ヴァルガ音楽祭室内管
録音 : 1967、1969年
ヴァイオリンを習っている人なら、スイスで開催されるティボール・ヴァルガ国際コンクールのことを知っていよう。その創始者である。
1921年1月4日、ハンガリー生まれ。ヴァイオリニストに限っても同郷の先達にヨーゼフ・ヨアヒム、レオポルド・アウアー、カール・フレッシュがいる。
さらに、ヴァルガと同じ街の出身者に大指揮者ハンス・リヒター (1843-1916) がいて、私たち東洋の島国の愛好家には分かりづらいが、連綿と続く音楽史の豊かさを誇っているのだ。
ライナー・ノーツによれば、彼の最初のヴァイオリン教師は父親だった。じつは父親もヴァイオリニストを目指していたが第1次大戦で負傷し、弾く側から、楽器を作る側になる。そのうえ母親はピアノが弾けたので、基礎だけでなく、幼い息子の伴奏をして教えた。環境的には申し分ない家庭だったといえる。
10歳でメンデルスゾーンの協奏曲を弾いたヴァルガは、その場で巨匠イェネー・フバイに認められ、ブダペストのフランツ・リスト音楽院にすすむよう勧められた。
しかし、家庭の事情で、ブダペスト転居は無理だった。ヴァルガ少年は約150キロ離れた首都まで、週3回通うことになる。レッスン日は午前3時起床、4時の汽車に乗り、授業を受けるのは8時から。むろんヴァイオリンだけでなく授業は多岐にわたり、帰宅したときは翌日の午前1時。そういう強行スケジュールを週3回である。それをヴァルガ少年はやりとげている。
立派な音楽家になる人は、たいてい幼少時に努力しているのですね。
さて、おかたい話はここまで
いまや朝寝が常習化したワタクシ、粗大ゴミでしかありませんが、TVでよく観るのはBSフジの < 絶景温泉 > です。自然界の四季さまざまの美しさと、オネエサンの入浴を鑑賞する番組です。
歳末大サービス で、写真4枚を掲載しました。映像のモデルは 遠野るん ちゃん。鹿児島出身の24歳です。明日の特番にも出演するかも知れませんよ。興味ある方はPM6時録画予約をどうぞ。