ノートルダム大聖堂の精神的支柱の強さを探る

--ゴシック建築様式と石の聖書―(その1)

2019.4.28. 記                    liebe-117(masao)

 

ノートルダム大聖堂の火災が15日に発生して2週間が過ぎた。

フランス人だけでなく世界中の人が驚きその損失が惜しまれている。

現在、この大聖堂の再建策が焦眉の急として、熱心に議論されているところ、

昨日のテレビニュースで,日本のある識者が「再建プランの中には現代的建築技術と手法を取り入れて国際コンペで選べばよいという案があるが反対である。ゴシック建築だからこそ世界遺産にも登録されたのだ」と述べているのが目に入った。

全く同感である。

 

尖塔は崩落したが主要な部分は堂々と生き残っている。ゴシック建築の強さも証明された。

では、ゴシック建築の物理的支柱の強さはどこから来るのか?

先ずこれを探ってみよう。

 

そもそも中世時代に大聖堂の建築を可能にしたのがゴシック建築様式であった。

それで、まず、ゴシック建築様式の歴史的背景を見てみよう。

キリスト教がその文化の担い手であった欧州中世の時期には、その建築活動が。寺院に集中されたのも当然の動きであった。

 

首都パリの中核をなすシテ島にノートルダム大聖堂は1163年から1345年にかけて建設されたが、この時期はフランス王国が安定してきて時期に当たり、12 世紀から 14 世紀にかけて領地が広ければ広い程、経済活動も拡大した。

領主たちは商工業者により大きな利益と富をもたらすべく競争した。このような時代を背景にノートルダムやシャルルの如き荘厳な大聖堂やロワール川沿いに国王や領主の城館が築かれたことが頷ける。これに呼応して彫刻や絵画の技法も発達していった。

 

それでは、ノートルダム大聖堂の建築を可能にしたゴシック建築技術とは何か?

 

ノートルダム火災の画像が何度も流されるごとに,胸が痛んだが、同時に堂々と高く伸びていた尖塔があっけなく崩落する様子には落胆した。木材が意外と多く使用されているのにも驚いた。

 

それでゴシック建築の技法を調べてみると、大工と石工が協力して穹窿部の工事を行うことによって、天井を高くし、半アーチを使って窓を大きくすることを可能にした。それによって、高く伸びる石の柱と壁面を減らして多彩なステンドグラスをはめ込むことを可能ならしめた。

ゴシック時代の人々は、壁を厚く積み重ねて、内部は暗いロマネスク様式から解放されて、上方に高く伸びる垂直線と空間を求めたのである。

この視覚的な上昇運動は精神的には眼を上方に導いて、自然に天への祈りに導くような形になるのであろう。

かくの如く考察すると、ゴシック建築様式のノートルダム大聖堂がパリ市民のみならずフランスのキリスト教徒に与えた精神的な影響は大きい。

 

2年半前だったか、パリ駐在の息子と共に、ゆっくり見学する機会に恵まれたが、

1991年世界遺産に登録されただけあって、ゴシック建築様式の壮大さと華麗さに改めて感銘を受けた。

ノートルダム広場では、観光客が円陣を作って地面を眺めているので筆者も屈んで見てみると、地面に丸い円形の銅版が埋め込まれてあった。これは、パリのゼロ地点を示す元標である。ノートルダム大聖堂の広場がパリの中心地であることを公示するものでもあるなと感じた。

 

大聖堂の正面入り口の彫刻を見上げて驚いた。

ノートルダム大聖堂の正面と広場中央扉の左側だったか、切断された自分の頭を抱えた男の像を見つけて、素早くシャッターを切った。

聖書の物語を彫刻で表現したものだった。

ノートルダム大聖堂の彫刻が「石の聖書」とも言われるゆえんである。

(次回に続く)