『戯夢人生』と『台湾、街かどの人形劇』 | 今天有空嗎?

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試写会で見せていただいた2018年の台湾ドキュメンタリー映画『台湾、街かどの人形劇(原題:紅盒子)』(以下、『街』)について、台湾映画同好会のFB向けに紹介文を書きながら、あれこれ思ったことを備忘メモ。

 

『街』の監修がホウ・シャオシェンだから、というわけではないけど、主人公である人形師・チェン・シーホァンと父親の李天禄に思いを馳せると、どうしてもホウ監督の『戯夢人生』(93)と比べずにはいられない。そもそもドキュメンタリーと劇映画という決定的な違いがあるわけで、同列に語るのはどうかと思うのだけど、『戯夢人生』(以下、『戯』)は李天禄の半生を描いた劇映画でありながら、李天禄本人をカメラの前に座らせ、自身の物語を語らせているあたり、半分ドキュメンタリーに足を突っ込んでいるような気もする。

 

父を題材にしたホウ・シャオシェン監督と、息子を題材にしたヤン・リージョン監督。

ロングショットで捉えたホウ・シャオシェン監督と、寄り添うようにカメラを回したヤン・リージョン監督。

完結している「半生」を物語として俯瞰した『戯』と、現在進行形の被写体に影響を受けながらカメラに収め続けた『街』。

 

父と息子についても、エピソードとして語られる『戯』の中のチェン・シーホァンと、『街』の赤い箱に象徴される絶対的存在の父親・李天禄。

自分の姓についての言及があり、名前から芸能の伝承や家系の中の自身の立ち位置に大きな影響を受けているところは、李天禄とチェン・シーホァンの両方に共通していて、とても興味深い。

 

等など。見比べてみて気づくことはとても多いかも。

 

9月の台湾旅行中、思いがけず『戯夢人生』の中古DVDを買うことができたのは、大きな収穫だった。

感想はまた後日。