先日、帰宅時にポストを見ると

妻宛に1枚のハガキが届いていました

 

 

 

 

 

とあるレストランからの「結婚記念日」の

お祝いプランのハガキでした

 

 

「ご結婚記念日おめでとうございます」

 

この言葉に胸が熱くなりました

 

そのお店は一年に数回しか利用することは

ありませんでしたが

二人のお気に入りのお店でした

 

アンケートに結婚記念日や誕生日などを書いていたら

毎年、結婚記念日やお互いの誕生日の時期に

ハガキが届いていました

 

そのハガキで結婚記念日やお互いの

誕生日に食事に行ったことも

何度もありました

 

おそらくこのハガキは去年のこの時期にも

届いていたのでしょう

ちょうど去年の今頃は妻が最後の入院をして

病院に泊まり込むなどそれ所ではない状況でした

 

 

妻は最後の入院から一週間も経たずに旅立ってしました

僕たちは4月に結婚したのですが、最後の入院までは

次の結婚記念日が迎えられないなんて思ってもみませんでした

 

ただ、妻は最後の入院までは自分の事は

自分でできるくらい元気でした。

 

そう考えると苦しい期間が短かった事は

妻に取っては幸せだったのかなぁと思います

 

正直、残された自分の気持ちを言うと

どんな状態になっても生きていてさえくれれば

それでいい

と思う気持ちが無いと言ったら嘘になります

 

ただ、体の自由が奪われ痛みに苦しみながら

生き続ける事に比べると妻にとっては

幸せだったに違いありません

 

そして「妻の幸せは僕の幸せ」

 

妻があまり苦しまずに旅立ったのは

それまで長い間、嫌な顔一つ見せず

闘病生活を続けてきた妻への神様からの

せめてものご褒美だったのかもしれません

 

 

ただ、僕は夫として

「もっと、妻にできる事があったんじゃないか」

「僕がもっと何かをすれば、妻はもっと長く

生きられたのではないか」

と思わずにはいれません

 

今回のハガキ

利用しなくても来年も届くかもしれません

今後もこのプランを利用することは

無いと思いますが

妻との証でもあるこのハガキは

捨てる事はできません

 

 

 

 

先日、確定申告に行ってきました

まあ、「最後」というのは

大げさな表現ですが

 

ここ数年、医療費控除の申告を行い

所得税の還付を受けていました

 

昨年までは妻が全て行ってくれました

妻は二人の医療費の領収書をきちんと保管

申告時期になって慌てないように事前に

計算してくれていました

 

毎年1月になると

「もう、医療費の計算は終わったから

 源泉徴収票を貰ったらすぐ出してね」と

言われ、僕は妻の言うとおりにするだけでした

 

源泉徴収票を出したら妻は僕の代わりに

税務署に行き申告を行ってくれました

 

最初の頃は慣れない作業に頭を

悩ませていたようですが

ここ数年はテキパキと行ってくれていました

最初は僕も一緒に考えていましたが

妻の方が物覚えも良く、妻が慣れてからは

僕は任せっきりになっていました

 

還付金が振り込まれると妻はいつも

「こんなに医療費がかかってごめんね

還付金は好きに使ってね」と

言ってくれました

 

僕は

「辛い治療を行ったから還付金が貰えるんだから

好きに使いなさい」と

妻に言っていました

 

 

結局、還付金は二人の旅行代に

消えていたように思います(笑)

 

 

 

そんな申告は去年の2月

妻が旅立つ直前まで

妻が行ってくれていました

 

今年の申告

今までのツケが回ってきたため

僕は四苦八苦しました

 

 

何とか資料を作成し税務署に申告書を提出しましたが

その直後、妻の医療費控除を行うのが最後だと思うと

こみ上げてくるものがありました

 

 

また、昨年末の話になりますが

令和元年の年末調整(確定)と

令和2年の年末調整(予定)を

職場で行いました

 

今までは内容を確認するだけで

全く同じ申告書を提出していました

 

しかし今回は

令和元年は「配偶者有」

令和2年は「配偶者無」

として申告しました

 

今更ながらこんな日が来るなんて

思ってもみませんでした

 

妻は常に

「私のせいで医療費や生活費がかかってごめんね」と

言ってくれました

 

僕は「そんな事はない」と常に言っていました

妻がいることにより扶養控除や扶養手当を

受ける事ができました

さらに各種のサービスや割引も受ける事

ができました

施設の入場料も妻の同伴者ということで

二人とも無料なる事も多くありました

 

そして、二人でいる事の「幸せ」

決してお金で買う事の出来ない

かけがえのないものでした

 

 

どうしようも無いとは

分かっているのですが

妻の存在が大きすぎて

喪失感は計り知れません

 

今までが恵まれすぎていただけに

罰が当たったのかなぁ

とさえ思います

 

 

 

 

 

 

大変ご無沙汰しております(汗)

本当に久しぶりのブログとなります

 

内容が内容なだけに別に更新しなくても良い

閉鎖しても良いブログなのかもしれませんが

 

更新しなかったのは大きな理由は無く

普通にバタバタしていただけです

ついつい更新をさぼってしまいました(汗)

 

  

前回のブログから変わった事は全くと

言ってよいほどありません

 

 

ちょっと、時季外れになりますが

昨年末の事から書かせていただきます

 

昨年12月初め僕は喪中はがきの手配を行い

出させていただきました

 

自分自身で年末年始のあいさつの手配を

するのは独身時代以来でした

当時の思い出が甦りました

 

10数年前、独身最後の年末を迎えていた僕は

印刷屋で年賀状のイラストを選びながら

「僕一人の名前で出すのは最後なんだなぁ」と

しみじみ感じていました

 

翌年、妻と結婚

それからの年賀状は二人の連名となり

イラストは妻と相談しながら決めていました

今思うと年末の恒例行事でした

 

妻がカタログを持ってきて

「ねぇねぇ、今年は何のイラストにする?」

これが会話の始まりでした

 

年賀状のイラストは二人とも

「ほっこりした」物がお気に入りでした

 

当初は色々なパターンがありましたが

ある時、干支がコタツに入ってくつろいでいる

イラストがあり二人のお気に入りとなりました

 

イラストは毎年変わりましたがそれに近いものを

選んでいたと思います

 

イラストを決め年賀状が出来上がったら

あとは宛名やコメントを書いて出すだけ

僕が出す年賀状の枚数は妻の数倍でしたが

妻は僕の分もあて名書きもすべて行ってくれました

 

妻は嫌な顔一つせず宛名を書いてくれて

毎年「出した人」「いただいた人」の

リストまで作ってくれていました

それは昨年の1月、妻が旅立つ直前まで

行われていました

 

昨年末、そのリストがあったおかげで

僕の喪中はがきを出す作業がかなり楽でした

 

妻の残した物に助けられながらも

10数年ぶりに行う作業に悪戦苦闘し

妻の有難さを痛感させられる事となりました

 

 

 

そうして年が明け令和2年となりました

年越しの瞬間をテレビで見ていましたが

「昨年は妻と一緒に楽しんだんだ」と思うと

言葉にできない悲しみがありました

 

 

そうこうしている間にもう2月

もうすぐ一周忌を迎えます

 

ここまでの時間

ある時は

「あっと言う間」に感じたり

またある時は

「長い間だったのか」と感じたり

複雑な思いになります

 

二人で過ごした部屋

物の整理は多少行いましたが

家具などの配置は全くと言って良いほど

変わっていません

この部屋は今でも「二人の部屋」なんです

 

時々旅に出る事がありますが

妻の写真と携帯電話は手放せません

一人旅なんですけど二人で旅行している

気分なんです

 

一般的には時間が過ぎると亡くなった人の

思いが薄らぐのかもしれませんが

僕にとって妻の存在は今でも日に日に

大きくなっています