を観ました。(今回は真面目な話です)
納棺師のお話。
死んだ人の永遠の旅立ちのお手伝いをする仕事。
観る前から予感してたけど、やっぱり今年死んだおじいちゃんのことと重ねて観てた。
私が、初めて「死」に立ち会った人。
おじいちゃんは、死ぬ二ヶ月くらい前に自宅で倒れて、救急車で運ばれて、そっから緊急入院。
それからの二ヶ月間、一時は回復に向かってたんやけど、やっぱり無理やって、最期の一週間くらいの時に、担当医から「あともって数日」って言われた。
その数日間は、親戚が寝ずに立ち会ってて、何人かずつ交代で家に帰って仮眠をとるって感じやった。
で、私が母親と家に帰って、次の朝目が覚めたとき、いきなり母親が
「おじいちゃん、ダメやったって」
って言った。
でも、そのとき実感全然わかんくて。もっと前からこうなることが分かってたからかも。
「ああ、やっぱりか」ぐらいしか言えんかった。
私が、もう動かないおじいちゃんに会ったのは、病院からおじいちゃんの家におじいちゃんの体が移された後やって、家の居間の布団に寝かされてた。
その時でさえ、やっぱり実感わかんかった。
「これが、死んだ人なんや」って、すごい客観的に見てた。
よく本とかでもいうけど、ほんまに寝てるみたいやってん。
でも、悲しさとかの感情が無かったと言いながら、最後の最後まで、おじいちゃんの体に触れられんかった。
ほんまに人が冷たくなるんやってことを実感したくなかったんやと思う。
その冷たさ、固さに実際に手を触れてしまったら、強制的に「死」を受け入れなあかん気がしてたんやと思う。
それで、棺に納められた後も、やっぱりおじいちゃんは動かなくて、
「これ、ほんまに死んでるん?」
って何度も色んな人に聞いてしまった。
月に一回くらいは会ってたのに、遺影の写真と比べて、
「おじいちゃんってこんな顔やったっけ?」
っていう疑問さえ浮かんだ。
もう何もかもが変な感じで、火葬場に付いて、本当に最後って時も、まだ他人事みたいな気がしてた。
かまどのフィルターが閉じられたときも、「ここで人間が焼かれるのか…」って思った。
数時間後、お骨を拾ってるときも、「人間の骨ってこんなんなんや。骨はカルシウムだからやっぱり燃えないんだね」って思った。
それから数ヶ月たった今でも、まだおじいちゃんが死んだ気がしない。
「死」を認めたくない、とかじゃなくて、なんていうかいまだに「死」を理解してないっていうか、「これが死なんだ」っていう確信的なものがつかめてない。
でも、昨日その映画を観て、なんとなく分かった気がした。
説明しにくいけど、自分の中で理解が始まってる。
その証拠に、さっきおばあちゃんと電話してて、おばあちゃんが「おじいちゃんが生きてたら…」っていう話をしてて、いつもやったら普通に聞けてたんやけど、その時ずっと涙が止まらんかった。
今更悲しみが溢れ出したっていうわけじゃないけど、やっと本当に「死」に対して泣けたと思った。
でもね、その映画によると、どうやら「死」は始まりに過ぎないらしいよ。
終わって、始まるんだって。
こういう宗教チックな事は大嫌いやけど、そう思うと、「死」への恐怖や悲しみも和らぐのかもね。
大体そんな感じ。
脈略が不自然ですみませぬ。。