物心ついた時から外国に興味があり、
世界の国名や首都名、国旗や位置を覚えるのが好きであった。
また旅行会社のツアーパンフレットをよく集めていた。
その頃から飛行機や航空会社が好きで、
バブル当時毎年のように行けていたハワイ旅行は一年に一度の
楽しみであったし、成田空港に遊びに連れて行ってもらったこともあった。
また海外旅行のお土産は、成田空港や現地空港のおもちゃ屋で
買ってきてもらった飛行機の模型であった。
これは実家に30機ほどある。
中でも胸をときめかせていたのは、フライト掲示板である。
当時はパラパラが主流であったフライト掲示板の写真を画用紙に写したり、
航空会社のロゴを画用紙に真似て書いていた。
時にはおでんや焼き鳥の串に紙を貼って、あのパラパラを再現しようとしたこともあった。
航空会社カウンターの各社のロゴにも萌え、画用紙によく書いていた。
旅行会社には航空会社の運行表などが置いてあり、
それを調べて、架空の時刻表を作ったこともあった。
また写真のように、自宅のフローリングに滑走路を作り、
ターミナル(たいていはテレビのリモコンであった)を作り、
架空の離発着表をもとに空港ごっこをしていたこともあった。
空港のアナウンス、機内アナウンスの実況つきで、
飛行機の離発着をひとり取り仕切っていたわけである。
3桁の都市コードや空港コード、2桁の航空会社コードもたぶんこの時覚えていたのではないか。
当時の将来の夢はスチュワードか、空港のグランドスタッフであった。
中学、高校、そして大学の学部時代は飛行機への関心は薄れていたが、
院生時代、そして社会人となった今、飛行機を利用する機会が増えるにつれて、
飛行機への興味が再び再燃したというわけだ。
ヨーロッパに毎年行けるくらい飛行機に乗れている自分を、20年以上前のあの頃の自分は想像していなかっただろう。