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黒沢版と見比べなければ、普通に時代劇の佳作。面白いです。
そりゃそうだ、シナリオが全く同じなのだから。
しかし、黒沢版にある世界的名作の風格は、本作にはない。何が違うのか?それを知ることは、黒沢作品の解題と、"映画"という表現方法に隠された秘密を探る手がかりになるかもしれない。
何が違うって、目につくところはいろいろある。
まず殺陣。
若い人は剣さばきが下手。最近うまいなーと思うのは、若くはないけど中井貴一。中井貴一は剣道で段持ってるんじゃないかと思うほど剣さばきがうまい。あと、真田広之。真田広之は役者として剣さばきを学んだって感じだけど、うまい。違和感が無い。
それにひきかえ織田裕二の剣さばきは、ふにゃふにゃ。そりゃ『あずみ』のときの上戸彩よりはましだろうけど、あの剣では人は殺せないと思う。
昔の時代劇では、殺陣にはそれなりのスゴミがあった。最近ないのは何でかな。練習しないのかな。
次に織田裕二の存在感。
さすがにトレンディ俳優で、その存在感はふわふわだ。時代を反映していて現代のヒーローにはいいのかもしれないけど、三船敏郎のがつんという存在感は感じられない。
もちろん、三船敏郎より織田裕二の方が好き、という人もいっぱいいるとは思う。でも、2007年版の椿が、世界的名作の風格をもたない、大きな理由の一つであることは言えると思う。
これは何の問題だろう?織田裕二の俳優としてのオーラなのか、森田芳光の演出力なのか、それとも彼をキャスティングした人の問題なのか。
存在感という意味では、他のキャストも同じだ。
何か、人間というより役者。一人一人がこの世界の中で真剣に生きている気がしない。撮影の後、一杯引っ掛けて家に帰るように見える。
カメラワーク、画面の質感、光の平坦さ...
でも、これらが全て解決されれば世界的名作になるのだろうか?
どうもそんな気もしないんだよなぁ。
おそらく、僕が分析してわからない、”映画”という表現の大事な何かを、黒澤明は知っていたんだろう。
森田椿を見て、あらためて黒沢の偉大さを知るのである。