3度の局所再発、4度の手術、2度の放射線…。

ステージ1で発見された乳がんが4年半後には
肺に転移した。


これは、
毎日書いている乳がん日記の一部で、
ステージ4に至るまでのダイジェストである。
(文字数の関係で抜粋)

↑日記・診察ノート(詳細はデジタルで記録


○診察ノート
 診察時の質問、医師の回答を記録

○日記(手記・デジタル)
 通院時に起きた事、医師の様子、表情、思った事など 詳細を記録




★★★ 1回目の手術(2015年7月)(35歳) ★★★


【シコリ発見】
2014年9月
健康番組を見ながら何気なく触ったらシコリを見つけた。


【乳がんの宣告】
2015年4月
訳があって病院に行くまでに7ヶ月かかってしまった。
やっとの思いで病院へ行くと、すぐにマンモグラフィ、エコー、針生検になった。

針生検の結果、乳がんだった。
その病院では手術が受けられず、近くの病院を紹介された。



紹介先の病院へ行くと、医師の指名はできないと言われ、一番当たりたくないと思っていた若い男性医師に割り当てられた。

問診を行った後にその医師がシコリに触れると すぐに
「あぁ、小さいですね☆」と言った。

既にパソコンを向いている医師に
「それは生検の跡ですよね?」
と聞かれたので驚いた。
一瞬しか目を向けなかったのに、その一瞬で重要な情報をしっかり診ている医師だと思った。

優しくて、ノリが若い、第一印象は凄く良い医師だった。



【手術方法の選択】
2015年5〜6月
術前検査を受けた後から急に不安が押し寄せて来た。
早く結果を知りたくて落ち着かない。診察までの時間が長く感じられる。


検査を受けるまではイマイチ実感が湧かなかったし、ガンは摘出すれば終わりだと思っていた。

しかし手術からが長い戦い と知ってしまったら不安でたまらなくなり、朝から夜中まで毎日ネット、ネット、ネット。
ホームページを保存したり、ノートに写したり急ピッチで乳がんについて学んだ。
いつしか そうする事で安心感を得るようになった。
だから乳がんの宣告を受けてからは人生最多のネット検索をした。


膨大な情報に惑わされて不安になっている中、何故かいつもヒットする現役の医師が書いているホームページに辿り着いた。

少し読むだけで、いかに技術が高く、それに自信を持っているか、責任感が強いかが伝わってきて惹きつけられた。

医師のあるべき姿や、病院の裏事情など、下手したら他の医師を敵に回すであろう際どい情報も包み隠さずに書かれていて、世の中に横行している酷い診療から患者を守るヒーローの様に感じた。

『こんな技術は他の医師にはないが、自分は技術が高い』
『医師は責任を持ってこんな検査をするべき』
『どこどこの病院は勧めない』

という内容は余程自信が無ければ書けないし、発言に責任ある立場の医師が発信源である事から、内容に信憑性があると思い、
他の病院はダメなんだ…この医師の患者になりたい!
と強く思い込むようになった。



術前検査の結果から、今後の治療方針や手術方法を決める事になった。

温存か全摘か
全摘なら再建をどうするか?」

今の時点での希望を聞かれたので、温存を選ぶと思うと執刀医に伝えた。


温存と決めていた所に、いきなり謎の看護師が現れて全摘+再建 を勧められた。
「え?執刀医がそうした方が良いと言っているという事???」
ここからが苦しみの始まりだった。


頑張って全摘しよう!
と思ったり、
怖いからやっぱり温存が良い!
と思ったり、温存と全摘を毎日行ったり来たりした。

悩み倒して、やっと答えを出し
「温存に決めた」
と執刀医に伝えるつもりだったのに、執刀医は不機嫌で煮えきらない態度。

執刀医は感情が不安定なので診察の度に こちらはビクビク。散々気を使ってきたが その態度を見ているうちに執刀医への不満が限界を超えた。

『こんな頼りない医者に任せられるかー!!』
と思い、うっかり
「全摘します!」
と告げてしまった ゲッソリ

ここからは一転して、全摘+再建で話が進み始めた。


悩み苦しんでボロボロになっている姿を見兼ねたナースが自分の身が危ういのに
「ステージ1だし、温存で良いと思います。
私なら温存にすると思います」
と、泣きながら助言をしてくれた。
そのお陰で迷いなく温存を決断

苦しみの底から救い出してくれた
この恩人を一生忘れない

そして、
何があっても温存を選んだ事を後悔しない


この時から温存に決めていたが、例の謎の看護師には予定通り形成外科を受診するように言われた。
「心配が行き過ぎている」と言われてから この看護師とは心に深い溝が。


後日 形成外科を受診。
症例写真を見せてもらったり、再建の手術内容を聞いた。
症例写真を見る限りでは技術が高そうだと思ったが、少し間違った事を言うと
「違います!!」
と声を荒げるので、この医師に大きな手術である再建は任せられないと思った。

形成外科医には
患側をインプラント、サイズを合わせる為に健側を自家組織で手術した方が良いと勧められた。

あまりにも簡単に言うから、一瞬
「そうか、やっちゃう?」
と思ってしまったが、片方でも怖いのに両方なんてムリ!
しかも前も後ろも手術したらどうやって寝るんだ?

やはり温存が良いと思った。



【手術】
2015年7月(35歳)

やっとの思いで辿り着いた手術
温存+センチネルリンパ節生検。


手術台に寝ていると
「よろしくお願いします」
と執刀医が挨拶をしてくれたが、マーキングをしないで手術という状況がまた不安にさせた。


そもそも こんな字を書く医師のメスの技術は大丈夫なのか不安が再び湧き上がった。



【術後】
手術室で目覚めた時、執刀医に
「リンパ 残ってますからね」と告げられた。

郭清にならなかったんだ…。
安心したら眠りに落ち、目覚めた時は病室だった。


腕がズンと重い感じ。
麻酔の影響で気持ち悪いが、嘔吐する程ではなかった。 


【翌日】
朝からピンピン

「もうスタスタ歩いてる!」
「全身麻酔じゃなかったの?」

看護師や他の患者がビックリする位元気
朝から普通に歩き、小走りもできる程。

痛い事が無くて、乳がんの手術は楽だなぁ〜
と思った。


朝の回診で、ガッチリと固定された強力なテーピングを執刀医が力づくで剥がし、背中の皮が剥けた。
これが一番痛かった。それ程 痛い事が無かった。


傷には透明の防水ボンドが貼られていて、
術翌日から普通にシャワーを浴びた。

↑傷(+防水ボンド)



【術後数日〜1ヶ月位】
振動があると痛む程度。

腕にピリピリした痛み。
神経が再生する時の痛みらしい。



【病理の結果】
2015年7月28日

タイプ   :浸潤性乳管ガン
腫瘍サイズ :1.6cm
グレード  :3
脈管侵襲  :あり
リンパ節転移:無し(0/2)

↑病理結果


摘出した病巣の写真を執刀医がパソコンで見せてくれた。

「大丈夫ですか?」
と断ってから見せてくれたが、家族に写真を撮って貰って既に見ていた。



【新たな決断】
今度は抗がん剤をやるか、やらないかの決断をする為の情報収集に走り回った。

しかし、執刀医は自分の意見も言わなければ、要求した情報を提供してもくれなかった。

ダメ元でいつも読んでいるホームページのドクターにネット相談をすると、
35歳でリュープリンが効くから、抗がん剤を足すよりリュープリン&タモキシフェンで。
と自分なら言うだろう。
という内容の返事をくれたお陰で迷わず
抗がん剤をやらないと決断する事ができた。
何があっても、この決断は後悔しない。


こうして、
どっちが患者か分からない様な 情緒が不安定で頼りにならない執刀医よりも
ネットのドクターの事を信じるようになった
ドクターが書いているホームページを毎日隅々まで読み込んでいるうちに ネット漬けになり、中毒の様になっていった
そして、いつしかドクターを100%だと思い込むようになった



【決断の日】
看護師が抗がん剤を勧めてくれたが、ネット相談で貰った回答のお陰で決断は変わらなかった。


執刀医は
ホルモン療法がよく効くタイプだから、積極的に勧めない
との事だった。

初めて執刀医が自分の意見を言った!!
ありがたいけど…早く言え!


二人の医師の意見が一致した事から、迷いなく抗がん剤はやらないと決断した。


【術後1ヶ月〜】
2015年8月11日〜

ホルモン療法開始
(リュープリン+タモキシフェン)


【術後の状態】
傷は10cmくらい。

↑術後2ヶ月、傷からが出て来た!


「乳腺が小さい為、30%の窪みが残る」
という執刀医の予告通りだったが、覚悟していた程ではなく、まぁ割と満足。

↑術後3ヶ月

手術を受けてから、二の腕の感覚が遠くなった。


【術後3ヶ月半〜】 
2015年10月〜12月

放射線治療
全乳房照射+ブースト照射(60Gy)

↑丸で囲んだ部分は追加照射


沢山の放射線仲間達と仲良くなった。
照射後に皆で集まって話をしていると、執刀医の評判は最悪で、悪口のオンパレードだった。

執刀医が異動になり、執刀医について行くか、病院に残るか選ぶように言われたが、自分はネットのドクターの元に行きたいと告げた。


【術後9ヶ月】
2016年4月

ネットのドクターのホームページを読んで、
【責任感が強く、患者思い。桁違いに症例数が多く、自信がある。他の医師とは比にならない程の高い技術】
と書いてあると解釈していた。

「それはインチキだよ。
医師の書いているホームページは、医師の私情が入っているから危険!閲覧禁止!!
と例の看護師に言われたが、

ネット上で
他院の医師については辛口、自分自身の事は高く評価している事から、余程の凄腕ドクターに違いない!
と信じ、ネットのドクターの元に転院した。


転院初日
今まではバーチャルだったが、ついに本物の患者になれる事が嬉しくて診察前はワクワクを抑え切れなかった。

見えない患者にネット相談をしてくれるという事は本物の患者への診察はどれだけ親切なのか。期待がブクブク膨らんだ。

事前に転院の許可を取り、身が引き締まる思いだという返事を貰っていたから、
歓迎モードなのかと思っていたらサイトから想像していた熱血タイプとは大分違った。

ネッ上の患者だった時の方が親切で頼りになる医師だと思ったし、
ネットのイメージとあまりにも違いすぎた為、
診察後「誰にでもあんな感じなんですか?」と看護師に思わず聞こうかと思った。

前の病院の医師と比較して、エコーのやり方に不安が残ったが、主治医はネットで自分がエコーをしているなら大丈夫!と書いているから大丈夫なんだろう…と思う事にした。

サイトを読んでいなかったら転院しなかったな…これなら前の病院でも良かったな…
と思った事が帰宅した時の表情で家族にバレた

一部の人には本心をメールで伝えたが、転院する喜びを熱く語ってしまった手前、殆どの人には本当の事は言えなかった。

次の診察を受ける事が怖くなり、精神的に不安定になった。


その後の診察では患者力を上げるべく様々な努力をした。
顔見知りが増えるにつれてスタッフからは主治医はネットと違うという話も聞くようになっていったが、
何でも質問に答えてくれるし、やっぱり転院して良かったな〜と思っていた。