今日は個性のお話です
『個性を大事にしよう』
そりゃそう出来たらいいなと思うけど、時と場合による
例えば『頑固』も『意志を曲げない人』『芯が強い』って言い方をすればカッコよく聞こえるだろうけど、頑固は頑固だよね
人のアドバイスを受け入れられない人。とも言えるかも知れないし時代の流れについていけない人と言われる場合もあるかも知れない
例えば落ち着きがない子供がいたとして授業中に立ってウロウロ歩く・騒ぐ
これは個性?完全に勉強したい子供の邪魔になってるよね?
誰かの個性は何かの犠牲の上に立つものだとは思うけど、理想はそれらを引き立てあえるものであってほしい
個性がつぶし合わずにお互い引き立てあって成り立つということ
例え面白くない話だとしても(←すでに失礼)たくさん話してくれる人も必要だし、それに対して気の利いたツッコミを入れて笑いに変えてくれる人も必要。そのやり取りに口は挟まないけど相槌を打ったり笑ってくれる人も必要
それぞれの役割が全く違うにしても『自分の役割』を理解しながら発揮できること
これは個性を活かし合っていると言える
だから安易に『個性を大事にしてほしい』とか『個性を認めて欲しい』っていう主張はなかなか難しいものがある
それは向上心を失った人のただの甘えに映る場面の方が多いから
今属している組織や集団にとって自分の『個性』や『主張』が必要な場面で発揮できることが大事
人のよってはそれがわがままに映るかも知れないけれど、一歩前に進めるためにはそういう勇気も必要だと思うし、むしろ一歩進めるためにはそれしか方法はないと思う
ほとんどの人が小さくても大きくても組織や集団に属しながら生きていかなければいけない
自分の個性も相手があってこそのもの
でも自分が属している組織を思えばこそ一歩踏み出すことも必要になる
それによって今ある規律みたいなものが壊れてしまう危険性も確かにある
でもそんなもので壊れてしまうものや変わっていく事は所詮その程度のものでしかなかったという事
周りの目なんか気にしないで進化していく事をしなければ埋没してしまう
自分一人の力で出来ることなんてたかが知れている
でもそれら一つの力の集合体が集まってこそ大きく進めることもあると思う
だから一人の力は『たかだか』ともいえるし『されど』とも言える
自分の力は果たしてどっちなんだろう?
個性を打ち出していくのも個性を打ち消していくのもいい面と悪い面は表裏一体
わがままが全部悪いわけじゃない
たまには自分が出る杭になって打たれてみるのもいいと思う
必要とされるために変わっていくわけじゃない
でも必要とされないことはやっぱりどこかさみしいもの
自分の持つ『個性』や『性質』が本当の意味で必要とされていく為に、今出来ることはまず着飾り過ぎた自分の心を洗練して色々捨てて改革していく事から始まるんじゃないかと思う
誰にでもきっと本当に必要としてくれる人はいると思う
それが例え昔自分が思い描いたものとは少し形が違っていたとしても、僕はそれでも十分幸せと呼べるんじゃないかと思う
なにかを与えられることばかり考えるよりも、少しでいいから何かを受け取ってもらえる人間であれたらいいなと思う
皆さんの『個性』がどこかで誰かに必要とされますように。