チャンスの数は基本的に『平等』ではなく『公平』だと思う
一人一人に決まった数が渡されるわけではなく、やった人にはやった分だけ(...やれた分っていう言い方の方が適切かな?)渡っていく
量が大切か質が大切か・・・なんていう不毛な議論に明け暮れる前に、目の前の与えられた仕事に全力で取り組めたかどうかが大切で、結果は後から付いてくるもので、それが出ないなら今までのやり方を、今までの考え方を変えればいいだけで...
だから抽象的な言い方にはなってしまうけど『出来る人』よりも『出来ない人』の方がいいわけが多い
(ここで言う『出来ない人』っていうのは大抵が『やらない人』に分類される
『出来ない』のは全然いいとして(きっといつか出来るようになる)『やらない』っていうのはちょっと・・・)
理由は『出来る人』っていうのは自分の周りにチャンスっていうものはあるって知っているから
いわゆる『出来ない人』は自分の周りにある小さな、些細なチャンスに気が付けないし、気が付いても損得勘定の間で『やらない』という選択をすることが多い
本当は自分の周りにあるチャンスの大きさや質(例えば自分に相応しいとか相応しくないとか)、労力と報酬の相対性なんかに気を囚われずに、とにかくやってみる
それの継続でたまに人が羨むような結果を連れてくるというだけの話
ただ、その人にしてみればたくさん取り組んだ結果たまたま人が『いいな』っていう結果を伴っただけで、本人がその時だけ要領よく頑張ったっていうわけじゃないと思う
確かに費やした時間と労力に対して求めた結果や報酬が伴わないっていう事はよくある
だからって『やらない』っていう選択はしない
時間と労力と結果は伴わない。だからこそ自分の目に映るチャンスくらいはしっかり見返りを求めずに取り組んでみよう。
そう思える人でいたいと思う
チャンスは日本語で言えば機会だから。それをなんとなく『良い機会』って認識するから人が与えてくれた『機会』に対して感謝の気持ちよりも先に『良い』とか『悪い』とか『多い』とか『少ない』とか言い始める
それはただの『機会』であってそれを『良い機会』にするか『悪い機会』にするかは自分の手に委ねられているはずなのに、心のどっかで誰かが幸せにしてくれるんじゃないかと『待って』いたら、そりゃあ良いか悪いかは別にして他の誰かに『機会』は巡っていくんじゃないかと思う
『最近いい機会に巡り会うことが多くなって・・・』
という話をしてくれたお客様がいて、こんな話になりました
皆さんにもたくさんの『機会』が訪れますように...