“時間という考えを作ったことから、人類は精神の発展が遅れたんだよ”

 

宇宙の申し子という本に、

こう書かれていた。

 

最近、働くことが困難になり、

生活保護を受ける事になった。

 

生活が最低限、保障されているので、

無理に仕事を探す必要もない。

 

自分から言い出さなければ、

基本的に生活保護を止められることもない。

 

時間の制限が外れたことで、働くってことの意味が変わってきた。

 

月々〇万円稼がなければならない!

 

となれば、選ばれなければならないことも

含めて職業は限られる。

 

いや、限られていた。

 

ふとみた求人に、

海外ドラマの動画チェックをするだけという

仕事があった。

 

9時から17時までの7時間とか、

深夜帯とか選べるが、

生活費を稼ぐことを考えたら9時から17時を選ぶだろう。

 

だけど、そんなに長いこと画面を観るのはつらい。

 

私が本当に選択したいのは、9時から13時までの4時間だ。

 

そして、短期の1か月を選ぶだろう。

 

ちょっとだけおもしろそうだし、

今のyoutube生活の延長だし、

でも長くはやりたくない。

 

1か月くらいがちょうどいい。

 

長く続けられるところを選ぶのが常識と言われて来たけれど、

長く続けられないのはだめだと言われて来たけれど、

私の本音は違う。

 

いつも、生活ということを考えて、

やりたくない仕事、できる仕事を選んできた。

 

だけど、生活保護でお金と時間の制限が外れたことで、

今まで選択できなかったことを自由に選ぶことができる。

 

公園でボーっとするといったことさえ、

平日5日働いていたら難しい。

 

2日で洗濯やらほかの家事やら、

やりたかったことや友達と遊ぶことや

体調の調整やらをすべて詰め込まなければならない。

 

洗濯に限っては、天気にだって左右される。

 

いや、気分だって左右される。

 

週末が、いつも健康であるとは限らない。

 

だから、“時間という考えを作ったことから、人類は精神の発展が遅れたんだよ”

 

という言葉に、深く納得した。

 

時間という概念なく、

自分のリズムで、内なる声を聴きながら

過ごした方が

 

より“自分になれる”だろう。

 

ひとりひとりを育てるために、

時間という考えは制限をかけてしまう。

 

人によっては5年かかる場合もあれば、

1年で済む人もいる。

 

本当は優劣なんかないのに、

1年の方が優秀に見えてしまう。

 

時間がないって、時間なんてそもそもないのだと

気がついた。

 

月曜から日曜日なんて、勝手に誰かがきめたこと。

 

集団をまとめる利便性はあるけど、ひとりひとりを大事にする

一人一人の時間の流れを無視する事にもつながっている。