表現者 | Listening is Believing

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RUGBY Dinner No Side Club店主/リバイアスミュージック代表 竹内方和のプライヴェート日記


僕個人的な考えとして、音楽家=アーティストにとって一番大切なことは表現し続けること=音楽を作り続けることだと思っています。しかし、表現を続けていくにあたって、前の作品との矛盾した闘争や周りからの期待、自分のモチベーションの維持など様々な壁にぶち当たります。でもその壁を越えていかなければアーティストとしての成長は無いし、それを超えることが出来るからアーティストは素晴らしいのではないかと思います。イチローが国民栄誉賞の受賞を断り続けているのは止まりたくないからだと思います。燃え尽き症候群にかかり一度、止まってしまった水泳の北島康介は、前にテレビで止まってしまった後の挽回がいかに大変かを切実に語っていました。

もちろん、それまでに作ってきた様々な作品を尊い、時には省みつつ、記録/クラシックとしてきちんと残し続け、伝えていくのは言うまでもなくとても重要なことです。でもそれは僕達のような立場やその音楽を聴くリスナー達の仕事のような気がします。

表現し続けるということは、資本主義社会の膿とも言うべき「物質の大量生産」とはヴェクトル自体が全く異なります。吸収してきたものを消化し、昇華し、表現という形で具現化する。ファンはそのアーティストの消化→昇華→表現→具現化を見たがって、知りたがっているのではないかと思います。そのアーティストの体内を通過した作品を欲しているのです。

昨夜、パンパンのWOMBで見たDJ KRUSHのライブはその具現化された作品が表現されていました。単なる他のレコードの宣伝マンにとどまらず、数ある他のレコードを使って自分を表現することが出来ていました。ドラムだけで音楽を奏でていました。彼は僕が言うまでもありませんが、日本が誇る真の音楽家であり、最高のアーティストの一人だと思います。僕自身、音楽の仕事に携わって約10年経ちますが、DJ KRUSHはいまだにいち音楽好きとして純粋に音楽を楽しむことの出来る数少ないアーティストの一人です。敏腕マネージャーのイッテツ君に聞くところによると、先頃行った南アフリカでは2カ所で計3,000人を動員し、先週のスペインではM.O.P、DJ Q-BERT、Busta Rhymesに続いての出演だったにもかかわらず会場をがっちりロックしたそうです。レベルが違います。

一昨日、woodblueとはそんな表現についての話も出来ました。とても有意義な時間でした。彼はアルバムリリース後もリリース前と変わらず、毎日、機材に向かい、トラックを作り続けているそうです。最近はDJも復活したみたいです。5/2には代官山UNITで行われる"Rebel Clique Release Party"にKZAやDJ Ductと一緒に参加して、DJをやります。今からとても楽しみです。woodblueはマルスのユニット「con-NYC」のことを絶賛していました。こちらのMySpaceに上げられている"boa"という楽曲がとにかく好きみたいです。

僕がこのブログを始めたのも、表現に関わるいち人間として少しでも同じような気持ちと境遇を共有出来ればという理由からでした。