はじめに
みなさん、こんにちは。本野鳥子です。今回は、「背教者ユリアヌス」の一巻についてです。
勢威を広げるキリスト教に抗い、古きローマ神教を守ろうとしたローマ皇帝、ユリアヌスの生涯を、追いかけていきましょう。
「背教者ユリアヌス (一)」辻邦生(中公文庫)
キリスト教をローマ皇帝で初めて公認した、コンスタンティヌス帝の甥として生まれたユリアヌス。コンスタンティヌスが没したあと、彼の息子のコンスタンティウスは、敵対勢力を一掃する。兄ガルス以外の肉親を失ったユリアヌスは、幽閉生活の中で成長した。
私が初めて彼の存在を知ったのはつい最近、塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読んだときだったが、訳も分からず彼の生き様に惹かれた。勢威を増すキリスト教に抗い、古きローマ神教を守ろうとした彼に、なぜかしら魅力を感じたのだ。もし彼が、長く生き、ローマ神教を守り抜くことができたのならば、きっと世界の歴史は大きく塗り替えられていたに違いない。
そして、この小説を知ったのも、たしか「ローマ人の物語」からだったような気がする。「ローマ人の物語」を通して抱いた、ユリアヌスの印象は、とてもこの作品と重なった。
可哀想な人物では決してない。端から見れば、肉親を虐殺され、従兄に幽閉され、散々な人生を送った彼だが、哀れむのは早計すぎるような気がする。それは、古代ギリシャの文学作品や哲学者たちの姿勢を通して、彼が勝ち得た静謐さのようなものに帰するのかもしれない。何も永遠ではありえないことを知り、自分の存在というものの矮小さを見据えていた、それが私の感じている彼の像である。
だから、彼は自分の生きる世界を超越して、あがく自分の姿を、見下ろして笑っていたのではないか、と思ったりもした。決してその笑みは、嘲笑でも冷笑でもないだろう。まだまだこの物語はこれからだが、そんな印象が彼にはつきまとっている。
やはり、ホーメロスが読みたい。キケロが読みたい。数々の古代ギリシャの哲学が知りたい。そうすれば、ユリアヌスと一部を共有できるのだ。彼が生きた時代からは1500年の月日が横たわっている。しかし、そんな現代にあっても、ユリアヌスが読んだ著作が残っているのだ。これを奇跡と称しても、差し支えないだろう。はるか昔に生きた人々と、同じものを読めること、それは喜びを伴って胸に迫ってくる。ラテン語や古代ギリシャ語ができれば、もっともっと彼の側に行けるかもしれない。
そうやってユリアヌスを含む、ローマ帝国やその後のヨーロッパに生きた数々の偉人たちと同じものを得たい。彼らが何を思ってその生を生きたのか、そのひとかけらでも、分かるかもしれないのだ。その望みは、日々強まる一方である。
おわりに
というわけで、「背教者ユリアヌス」の一巻についてでした。歴史への興味はつきません。本当はこれでも、ファンタジーが本領なのですが、最近はずっと歴史に関係するものを読んでしまっています。戻れるのはいつになることやら。
さて、次回は歴史から離れて、小野不由美さんの「ゴーストハント」一巻です。角川文庫で、ついに文庫化ということですね。まだ読んだことがないので、とても楽しみにしています。それではまたお会いしましょう。最後までご覧くださり、ありがとうございました!