はじめに

 みなさん、こんにちは。本野鳥子です。今回は、ユリウス・カエサルによるとされる「ガリア戦記」についてです。前回の「ハンニバルの象使い」の舞台となったときからは100年以上時が過ぎ、ローマはいっそう拡大していました。そんな中で登場したのが、ユリウス・カエサル。彼が駆けた戦場の様子が、今再び、読者の目の前に映し出されます。

 

「ガリア戦記」カエサル(岩波文庫)

 舞台は紀元前58年から51年にかけてのガリア(現在のフランスからベルギー、ドイツ、スイスの一部を含む地域)。ローマ帝国の基礎を確立した、ユリウス・カエサルが、自らの覇業を淡々と語る。

 

 彼が生きた時代からは、2000年を隔てて、それでも彼の思ったこと、考えたことがこのように残っていることの驚きを隠せない。はるか昔の古典とあって、もっと読みにくいものを想像していたが、杞憂だった。読みやすく、次から次へと押し寄せるガリアの部族たちへの反撃が、ありありと描かれている。一時も休むことなく、ガリア一帯を駈け回ったカエサルの姿が、まさに浮かび上がってくるようだった。

 

 自分にもう少し戦史の知識があって、隊形が分かり、またヨーロッパの地理も覚えていたら、戦場がもう少し明確に思い描けたのだと思うと、知識不足が本当に惜しかった。

 

 また、戦場に翻る真紅のマントが、いかに兵士たちに勇気を与えたかが、私情を徹底的に除いた記述の中からも伝わってきて、カエサルの人望を感じさせた。苦境とあらば、戦の中を駆けつけ兵士たちを激励し、ときには自ら戦陣に加わるカエサルには、本を通してですら惹きつけられずにはいられない。ましてや、直接彼を仰ぐ兵士たちのカエサルへの信頼は、いかばかりであっただろう。

 

 さて、私は架空歴史小説が好きで色々と読んでいるが、それらの魅力は、実際の歴史を舞台にするものと異なり、文献や史料をある程度離れて、自由に想像できることだと思う。逆に言えば、実際の歴史を舞台にした小説は、ある程度史実に縛られているということだ。史実との矛盾が出てこないように、注意を払う必要があり、その結果曖昧な記述になってしまうことも少なくない。

 

 だが、この「ガリア戦記」は、カエサル自身が書いているおかげで、そんなことを気にする必要は一切ないのである。同時代人どころか、張本人が書いているわけだから、細かい記述もいくらでもできる。だから、後世の人々には到底できない、事細かで、しかも事実を語れるのだ。これは、「ガリア戦記」の大きな魅力だと私は感じた。戦況の変化や転戦の記録など、カエサル自身でなければ書けないことが詰まっているのだ。

 

 言ってしまえば、架空歴史小説が持つ、想像の翼を自由に羽ばたかせることができる、という魅力と、歴史小説の持つ、実際の歴史をじっくり検証し、歴史上の人物の姿を紙の上に再現する、という魅力を併せ持っているのが、本書だと思った。同時代人の記録というだけでも貴重なのに、時代を牽引した当本人が書いているということ、その点において、本書の価値は計り知れないと思う。

 

 この本を、原文で読みたい。ラテン語を読めるようになりたい、という気持ちが、一層強まった。

 

おわりに

 というわけで、「ガリア戦記」でした。次回は、更に時代を下って、末期の皇帝ユリアヌスを主人公とした、「背教者ユリアヌス」を読みたいと思います。もしかしたら、時を戻して塩野さんの「ギリシア人の物語」になるかもしれませんが、お許しください。

 

 それでは、また次回お会いしましょう。最後までご覧くださり、ありがとうございました。