はじめに

 みなさん、こんにちは。本野鳥子です。今回は、「獣の奏者」シリーズの最終回、「外伝 刹那」についてです。この物語は短編集なので、一つ一つ分けて書きたいと思います。それとなくネタバレがあるので、未読の方はご注意ください。本編には描かれなかった、登場人物たちの日々は、そっと抱きしめたくなる愛おしさと切なさに満ちています。

 

「綿毛」

 ソヨンによって、まだエリンが幼かったころの一場面が生き生きと描かれる。

 

 本当にソヨンは、エリンのことを心から愛していたのだ、ということが痛いほど伝わってきて、苦しくなった。本編ではほとんど描かれることのかなわなかった時間だが、彼女の愛の深さは本物だったのだ、と思う。

 

 それから、エリンとイアルの場合に比べて、ソヨンと夫であるアッソンは、もっと熱情的な恋をしていたのかな、とふと思った。心の中身はともかくとして、古い時代に起こった惨劇を再び起こさぬため、戒律によって自らを縛り、放浪して暮らしていた〈戒律の民〉から出て、アッソンと添い遂げる、ということは、周囲の目から見たら、本当に思い切りのよい決心に見えたに違いない。エリンの姿と、どことなく被って見える作品で、最後の「初めての・・・・・・」と対になっているようにも感じられた。

 

「刹那」

 表題作であるこの作品は、イアルの視点からエリンの出産と、彼女との出会いが交互に描かれる。

 

 しがらみに捕らわれることを分かっていて、それでもエリンとイアルは添い、ジェシを産むことを選んだ。そのことの意味が、改めて胸に迫ってきた。生きることの喜びを、その過酷な生の中でも見いだしていたエリンを私は尊敬する。

 

 今回初めて気づいたのか、それとも以前気づいたのに忘れたのか分からないが、この短編集は、全て一人称で描かれていることが目新しかった。イアルが、「おれ」と自身のことを呼んでいるときに気づいたのだが、一人称の物語の中でも、地の文と()を上手く使い分けて、心情を描写する巧みな手腕には、引き込まれてしまう。題名通り、本当に一瞬の日々が、あまりにも愛おしく感じられた。

 

 実は、私が当たり前だと思って過ごしている日常も、きっとあとから振り返れば、何ものにも代えがたい、貴重な日々なのだろう。エリンとイアル、そしてジェシの姿を見ていると、実感する。言語化すると、押しつけがましくなってしまうし、ありきたりだが、日常というのは大切なものなのだ。上橋さんの作品の中でも、「獣の奏者」は特にそれを感じさせてくれる作品だと思った。

 

「秘め事」

 今度は、カザルムの教導師長であるエサルが、若い頃に過ごした短くて、でも美しいひとときが語られる。貴族の総領娘として生まれた自分を嫌い、タムユアン学舎に通った彼女が、出会った二人の学友が、ユアンとジョウンだった。その二人に導かれて、エサルが過ごした濃密な日々が、くっきりと描写される。

 

 惨い処刑で母を奪われ、このさきにも心からの安らぎはない。はたから見ればつらすぎる人生を生きているように見えるエリンだけれど、それでも彼女の心の中には、生まれてきてよかったと思える気持ちが、しっかりとあるのだ。

 

 これが、エサルの視点から見たエリンの姿である。エサルのような人が、エリンの側にいてくれて良かった、とイアルではないが、心から思った。エサルや、ジョウンのような人びとがいたからこそ、エリンはそういう風に思えたのだろうし、だからこそジェシも産むことを決断できたのだと思う。

 読者の目から見ても、エリンは、辛い人生の中でも、確かな幸せの中にいた時間があった、と断言できる。それが、上橋さんのすごいところだ。可哀想だね、で終わらない、終わらせない筆致に、この人でなければ「獣の奏者」は書けないだろう、と改めて思った。

 

 ところで、ユアンの言葉に、なんとなく「鹿の王 水底の橋」のホッサルを思い出した。

「そうなったら、裏街で、もぐりの医術師の夫婦にでもなって暮らせばいいさ」

 似たような言葉を、ホッサルもミラルに投げかけていなかったか。生きる世界すら異なる二人だが、同じ上橋さんの手になるだけあって、同じものが根底に流れているのだろう。

 

「初めての・・・・・・」

 最後は、エリンがジェシを乳離れさせようと、必死になる話である。二歳というのに、もうすでに以後の彼の姿を映し出す理屈っぽさが表れているジェシには、苦笑を禁じ得ない。イアルとエリンのやりとりも、ジェシの愛情が隅々まで行き渡っているのが感じられて、親になるということの意味が伝わってきた。

 

 

 短かったけれど、濃密で、暖かさの詰まった日々。エリンの人生は、一口に片付けられるようなものではなかったが、彼女の姿勢を忘れない、と心に誓った。

 

おわりに

 というわけで、「獣の奏者」シリーズはおしまいです。読むのが辛くなるのは最初から分かっているんですが、それでも読み返したくなる束縛力がある物語ですね。次回は、また歴史関係に戻ります。お楽しみに。

 

 それではまたお会いしましょう。最後までご覧くださり、ありがとうございました!