はじめに

 みなさんこんにちは。本野鳥子です。今回は、昨今話題に上っているカミュの「ペスト」についてです。どうぞお楽しみください。

 

「ペスト」カミュ(新潮文庫)

 194×年、フランスの占領下のアルジェリアはオラン。医師のリウーは、ある日、鼠の死骸が転がっているのを見つける。まもなく、死んだ鼠が町の中に散見されるようになった。それらは、恐ろしい伝染病、ペストの徴候だった。

 

 カミュは初読であるが、彼の筆が持つ力に、圧倒された。読んでいる途中から、これは実際に起こったできごとなのだろうかと、真剣に考え始めてしまったほど、鬼気迫るものを感じた。

 

 私は、かなり流行というものを軽蔑する傾向にあって、良くないと自覚はしている。この「ペスト」も、あまり期待していなかった。

 

 でも、いや、だからこそ、それを遙かに上回る衝撃を受けたのである。ペストが広まりはじめ、人びとを侵食していく空気は、まるで町の人びとの暗い面持ちが目の前に見えるかのような迫真の書きぶりだ。いかに感染症というものが人から希望を奪い去っていくかが伝わってくる。

 

 市民たちは事の成り行きに甘んじて歩調を合わせ、世間の言葉を借りれば、みずから適応していったのであるが、それというのも、そのほかにはやりようがなかったからである。彼らはまだ当然のことながら、不幸と苦痛との態度をとっていたが、しかしその痛みはもう感じていなかった。それに、たとえば医師リウーなどはそう考えていたのであるが、まさにそれが不幸というものであり、そして絶望に慣れることは、絶望そのものよりもさらに悪いのである。

 ともある通り、ペストが広まる市内では、市民たちは陰鬱とした重苦しい空気に支配され、希望を抱こうとすることすら、やめてしまったのである。

 

 ペストに限らず、疫病の拡大というものは、人びとに希望を失わせる。今回の新型コロナウイルスも、また例外ではない。

 

 最初は、人ごとだと思っていた。自分とは関係ない、海の向こうのできごとだったことが今、私たちの身にも迫りつつあることが、未だ信じられない気持ちでいる。

 

 きっと、この作品の町の人びとも、同じだったのだろう。歴史の一部と化していた伝染病が、今自分たちの身近に起きているということが、簡単には信じられなかったのだと思う。そして、次々と病に斃れていった。

 

 これでは、絶望に慣れてしまっても仕方ないと思う。

 

 しかし、その暗鬱とした空気の中で、タル―とリウーが海で泳ぐ場面などは、不思議な爽快さを伴っていた。澄み切った希望とでも言えば良いのか、重苦しい雰囲気が根底に流れるこの作品の中で、そこだけが読み終わったあとも、きらきらと光り輝いているように思える。

 

 明けない夜はない、ともいう。本を読んで、心の糧を蓄えながら、じっとこの苦境を耐えて、新たな朝を迎えようという決意を新たにした。

 

おわりに

 ということで「ペスト」読み終わりました。次は何を読もうか、まだ思案中です。多分感染症関係か、歴史関係か……ドエストフスキーも読みたいと思っているところなので、それになるかもしれません。お楽しみに。