初めてのオペラ鑑賞。
歌手の美しい声と声量に圧倒された。
映画も舞台も「オペラ座の怪人」が大好きなんだけど、「椿姫」も共通点がある感じがした。
キーワードは自己犠牲。
これは西洋の文化とは切っても切れないのだが、椿姫はしつこいくらいに「私の犠牲を」「愛の犠牲を」「犠牲を忘れないで」「犠牲を伝えて」と訴え続ける。
日本人の感覚には、ちょっとなじみにくいかも
椿姫は高級娼婦だったけど、純情な青年アルフレードと恋に落ちて、二人で幸せに暮らし始める。
だが、アルフレードの父から「アルフレードの妹の結婚に差し障りがあるから別れてほしい」と懇願される。
最初は抵抗した椿姫だったが、悲しみながらもそれを受け入れる。
身を引くのに「愛の犠牲を!」と声高に自己アピールするのは、不思議。
ましてや「妹に、あなたの幸せのために犠牲になった不幸な女のことを伝えてほしい」と願ったり、「あなたに新しい恋人が出来たら、私の肖像が描かれたペンダントを渡して」とか、理解しがたい。
日本人的には、相手の幸せを祈り、そっと身を引く。
私のことなど忘れて、幸せになってね。
というのが美徳、美学なイメージ。
時代性と東西の感覚差なんだろうか?
そのあたりは、おいておいても、「自己犠牲」のテーマは心にグッときます。
オペラ座の怪人のクライマックスシーンでクリスティーヌがファントムにキスする場面。
孤独な魂の救済のための自己犠牲ともとれるが、クリスティーヌはファントムを愛していたんだと私は思っているので、その後の場面のほうが「自己犠牲」感は高い。
渇望していたクリスティーヌの愛を受けたファントムが幼子のような表情になる。
そして、クリスティーヌの幸せを願い、手放す。
ここは何度観ても泣けます
椿姫がどうして別れる決心をしたのか、まだよくわからない。
アルフレード父の子供を思う気持ちにほだされたのか?
娼婦だった過去を許さない人間に絶望したのか?
クリスティーヌはラウルを愛しているっぽかったから、表面上はファントムの横恋慕。
クリスティーヌの幸せを願って身を引くのはわかる。
でも椿姫とアルフレードは相思相愛。
自分を失ったらアルフレードだって不幸になるのに、どうして別れるのか?
娼婦出身の自分といたらアルフレードに災いがあるから?
だけどそれは百も承知で、今一緒に暮らしているんだよね?
結局、第三幕では、椿姫に裏切られたと思い込んでいたアルフレードは父の差し金だった真実を知り、アル父は自分の行動を恥じて謝る。
和解成立!
これからは一緒に暮らして幸せになろう!っと思いたいが、椿姫は病が悪化して息を引き取ってしまう。
やっぱり別れることなかったんじゃん
ストーリーは、きっと大幅に割愛されていたに違いないし、もっと深く切ないんだろうと思います。
たぶん。
歌声も素晴らしかったけど、オーケストラの演奏も美しく繊細で、バレエも華やか。
ついでにいうと休憩時間に行き来する観客のお洋服も、みなさん素敵でした。
また機会があったら行きたいです
追記
昨日の傷ついた癒し手についての記事で、
愛ならば、人は自律性を学び、思いやりと理解を己の中に育てるのです。
と書きました。
ファントムはクリスティーヌの愛から、自分のエゴのために彼女を所有したいという気持ちを律することが出来るほど成長し、彼女に対しての深い思いやり=愛を伝えられるようになりました。
つまり彼女の幸せを願い行動することが、愛だと理解し、示すことができたわけです。
けれど、椿姫の自己犠牲はアルフレードの成長を促さなかった。
それどころか、誤解したアルフレードは嫉妬と怒りで大暴走して大顰蹙。
心の底から相手の成長と幸せを願った行動と、父のエゴに振り回された行動の違いかしら。
そう考えると、原題『ラ・トラヴィアータ(=道を誤った女)』というのもうなづける。
娼婦=道を誤った女、という意味なのだろうが、自分の愛、相手の愛を大切にしなかったことが彼女の誤ちに思えてならない。
