今夜、21:51頃、東京は射手座の新月を迎えます。


今日の東京は雲一つない快晴。

風もなく穏やかな小春日和となりました。


射手座の物語は、ギリシャ神話のケンタウロスの物語です。

ケンタウロスであるケイローンは、上半身が人間で、下半身が馬の姿です。

もともと神の子で不老不死のケイローンですが、その姿のために母から嫌われ捨てられてしまいます。

けれど、幸い他の神々に拾われ愛されて成長します。

やがて、太陽神アポロンから音楽、医学、予言を、月の女神アルテミスからは狩猟を学び、賢者となります。


下半身の獣性を、上半身の人間性が支配できたのですね。

つまり、本能的衝動を知性がコントロールできたわけです。


ケイローンは洞穴に住み、薬草を栽培しながら病人を助けて暮らしていました。

自分の持つものを英雄たちに教えることもしていました。


弓を持つ射手座のモチーフは知恵の象徴であるケイローンから由来しているようです。


ところがある日、ヘラクレスと他のケンタウロスたちとの争いに巻き込まれ、ヘラクレスの放った毒矢が誤ってケイローンに命中してしまいます。

もがき苦しむケイローンですが、不死身のために死ぬことはありません。

ケイローンは、その後、この傷のために苦しみ続けます。

洞窟に引きこもったケイローンは、この傷を癒すための治療を研究します。

その膨大な知識と、同じように苦しみを背負った者に対する深い共感の気持ちは、多くの人を救います。

このことからケイローンは「傷ついた癒し手」と呼ばれるようになったのです。


やがて、あまりの苦痛から逃れるために、ゼウスに頼んで不死を放棄し、死を選びます。

その死を惜しんだゼウスはケイローンの姿を星座にしたということです。


母から疎まれ捨てられた生い立ち。

どれほどの孤独と痛みと絶望を噛みしめたことでしょう。

かつての生徒であるヘラクレスの毒矢に射られた痛み。

即死してもおかしくない苦しみが永久に続くと思われたわけです。


誰よりも心身に深い傷を抱えたケイローンだからこそ、深い理解と共感で素晴らしい癒し手となったのでしょう。


ケイローンの物語、何を感じましたか?


私は二つのことに深い感銘を受けました。


ひとつは、自分の持つ痛みが他者を癒す力となること。

傷を負った者だけが傷の痛みを知っている。

痛みを抱えたものだけが他者の痛みに共感できる。

自分の孤独や絶望を誰かへの援助に使えたら、そんな素晴らしいことはありません。

救われたいと切望するからこそ、他者を救うことができる。

自分の中の悲鳴を誰かへの愛へ変換出来たら、意味があると思うのです。


もうひとつは、愛が導くこと。

ケンタウロス族は元々半神半馬の野蛮な種族です。

けれど、神々に愛されたケイローンは能力を発揮し、優しく聡明な賢者となります。

愛と環境が、本来の力を十分に開花させたと考えられます。

体罰や脅しでは、人は委縮し恐れと怒りを抱え込みます。

表面上は従っても、それは服従であり、そこに自発性はありません。

しかし、愛ならば、人は自律性を学び、思いやりと理解を己の中に育てるのです。


生を受け、生きていく中で、傷を持たない人はいません。

受けた傷をどう癒していくのか?

自分の苦しみを糧に、誰かを癒すことができるだろうか?

自分の中に愛を見出し、愛を育て、自己の成長に繋げられるだろうか?


自分の力を自分と他者の幸福のために、どのように使っていけるでしょうか?