6月6日
「はし、そうです。中央区に、中央図書館があるので、同じ名前は付けられないので、総合図書館という名にしました」と答えられた。
なるほど、ご当地事情があるのだった。
ギリシャ神話で知恵の女神「アテナ」の従者「フクロウ」と図書
そう勝手に解釈しましたが・・・・・

図書館の入り口に通じるロビー
ロビーから喫茶室へ
館内の撮影は担当課に事前に書面申請し、許可を得てからしかできないことがわかった。当日の申請はだめ。どの図書館でも無許可で撮影はいけない。これは常識。この図書館では、決まった様式に撮影期日と撮影目的を明らかにして事前に封書で届ける必要があった。許可が下りてからしか撮影は不可。
また、撮影後の写真は、何にどんな写真を使うのかも 届けた上でなければ使う事ができない。厳密に言えば人物は写っていないが、建物や内部は、「市の所有物」なので勝手に撮影したり、掲載はできない。公共のものとはいえ、撮影となると別。
館内を案内して下さった司書さんは、「申し訳ありません。せっかく遠くから来て下さったのに、規定がこうなので申し訳ありません」と見送って下さる最後の最後まで恐縮されていた。実際、原則は上記に書いたとおりだが、図書館によって対応はさまざま。口頭で了解が得られるところも、簡単にその場でサインする事で許可が下りるところなど様々である。
旅行中、立ち寄ったところでは予約していないだけに、事情を話して了解を得なくてはならない。これは当たり前のことだ。予約した期日に訪問できるように、入念に計画をたてて事前申請を済ませておかないと撮影ができないので 「次回、又来て下さい」と言われても、ちょっと気持ちが萎える事もあるのだが、準備を怠った自分が悪いと思っている。
掲載する以前の問題として、写真がないと現場の印象に対する記憶が薄れる事が多い。気が付いたレイアウトなどは写真で記録しておくと間違いなく正確な事実を把握できる。しかし、いつもカメラを携帯しているとは限らない。
本当に記録したければ、腰を据えて観察し、ノートに克明に記録しなければならない。つい、撮影が当たり前に思っているので、実際、撮影できない場面や環境をいかにして記憶に焼き付けて、言葉にするか、原則を時々は思い出さなければいけないと考えさせられた。
逆に、携帯やデジカメなどの原理な道具があっても、使いたい時に使えないことがあるのは、特に図書館の本の背表紙。
何冊か、メモ代わりに背表紙だけ、撮影できると本当にメモ代わりとなって役に立つが、これができないので結構 不自由を感じるが、こんなことを考えるのは不謹慎なのかしら。昔ながらにノートに、本の名前、作者名を書きとる正攻法で行かねばならないのかな。黙って携帯撮影は良くないと思うので、その必要を感じる時は申し出ているが、このブログで使ってきた図書館の写真は、どれも申告して許可を得たものばかり。
ロビーが広かったことからも想像がつく様に、内部は立派なホテルを思わせる程、重厚な造りで天井は高く、空間も十分で自分が広い図書空間にたちまち、放り出されたような感覚を持った。一軒とか、一部屋とか、10進法とか、とにかく面積や法則で区切りをつける世界とは別の世界があった。
どこにどんな本があるのか、まず深呼吸して 探検するような気持ちで巨大空間に一歩を踏み出したのだった。
不思議な図書館だった。
本の海・・・・大海を航海するような感じもした。
この日の夕食
五穀ごはんと鳥の唐揚げ筑前煮、豆腐サラダ(これがおいしくて福岡滞在中に何度も注文する)
どこで食べたのか・・・記憶にない。大変、思い出さなくては。

この日の宿
ネット予約で博多・祇園の「山本屋旅館」。老舗旅館と言えども破格のお値段。
一日一組のみのラッキーゲストとなる。
宿の全貌を撮影すべきだった。
大丈夫かな? この価格で・・・・一抹の不安を抱きつつ、長い旅路でたまには「破格」の宿もありとの判断から決断した宿だったが、お風呂がとても良かった。
家族風呂だが、ゆうに5人は入れる広さで、お湯の量もふんだん。
温泉ではなかったが。
宿の主人は、飾り気のない人で、作り笑いがあるわけでもなく素朴なお人柄。
翌朝、奥様と思しき方に心をこめてお礼を言う。
お一人様、千円。
「次回もこの価格でしょうか?」と難題を言ってしまった私。
「いえいえ、月に一組様だけですから お宅様はラッキーでしたね」
こういう旅館もおもしろい。
また、こんな宿のあたるといいな。
知恵・知識のシンボル・フクロウが迎える「福岡市総合図書館」
バスの運転手さんに「福岡市の中央図書館に行きたいんですが」と尋ねた。丁寧に行先、乗り換え場所とバス番号を教えてくれた。
しかし、話が合わない。
「中央図書館って、福岡市の図書館の本館ですよね?」と確認する私。
「??? いちおう、中央区にありますので。
博物館に行かれるのでしたら、近くに総合図書館という立派な図書館がありますから ここも良いですよ」と運転手。
何だか釈然としないまま、博物館を出て道路を横断する。
受付で、「ここって中央図書館のような図書館でしょうか」と伺うと、博物館に行かれるのでしたら、近くに総合図書館という立派な図書館がありますから ここも良いですよ」と運転手。
何だか釈然としないまま、博物館を出て道路を横断する。
「はし、そうです。中央区に、中央図書館があるので、同じ名前は付けられないので、総合図書館という名にしました」と答えられた。
なるほど、ご当地事情があるのだった。
ギリシャ神話で知恵の女神「アテナ」の従者「フクロウ」と図書
そう勝手に解釈しましたが・・・・・

図書館の入り口に通じるロビー


館内の撮影は担当課に事前に書面申請し、許可を得てからしかできないことがわかった。当日の申請はだめ。どの図書館でも無許可で撮影はいけない。これは常識。この図書館では、決まった様式に撮影期日と撮影目的を明らかにして事前に封書で届ける必要があった。許可が下りてからしか撮影は不可。
また、撮影後の写真は、何にどんな写真を使うのかも 届けた上でなければ使う事ができない。厳密に言えば人物は写っていないが、建物や内部は、「市の所有物」なので勝手に撮影したり、掲載はできない。公共のものとはいえ、撮影となると別。
館内を案内して下さった司書さんは、「申し訳ありません。せっかく遠くから来て下さったのに、規定がこうなので申し訳ありません」と見送って下さる最後の最後まで恐縮されていた。実際、原則は上記に書いたとおりだが、図書館によって対応はさまざま。口頭で了解が得られるところも、簡単にその場でサインする事で許可が下りるところなど様々である。
旅行中、立ち寄ったところでは予約していないだけに、事情を話して了解を得なくてはならない。これは当たり前のことだ。予約した期日に訪問できるように、入念に計画をたてて事前申請を済ませておかないと撮影ができないので 「次回、又来て下さい」と言われても、ちょっと気持ちが萎える事もあるのだが、準備を怠った自分が悪いと思っている。
掲載する以前の問題として、写真がないと現場の印象に対する記憶が薄れる事が多い。気が付いたレイアウトなどは写真で記録しておくと間違いなく正確な事実を把握できる。しかし、いつもカメラを携帯しているとは限らない。
本当に記録したければ、腰を据えて観察し、ノートに克明に記録しなければならない。つい、撮影が当たり前に思っているので、実際、撮影できない場面や環境をいかにして記憶に焼き付けて、言葉にするか、原則を時々は思い出さなければいけないと考えさせられた。
逆に、携帯やデジカメなどの原理な道具があっても、使いたい時に使えないことがあるのは、特に図書館の本の背表紙。
何冊か、メモ代わりに背表紙だけ、撮影できると本当にメモ代わりとなって役に立つが、これができないので結構 不自由を感じるが、こんなことを考えるのは不謹慎なのかしら。昔ながらにノートに、本の名前、作者名を書きとる正攻法で行かねばならないのかな。黙って携帯撮影は良くないと思うので、その必要を感じる時は申し出ているが、このブログで使ってきた図書館の写真は、どれも申告して許可を得たものばかり。
ロビーが広かったことからも想像がつく様に、内部は立派なホテルを思わせる程、重厚な造りで天井は高く、空間も十分で自分が広い図書空間にたちまち、放り出されたような感覚を持った。一軒とか、一部屋とか、10進法とか、とにかく面積や法則で区切りをつける世界とは別の世界があった。
どこにどんな本があるのか、まず深呼吸して 探検するような気持ちで巨大空間に一歩を踏み出したのだった。
不思議な図書館だった。
本の海・・・・大海を航海するような感じもした。
この日の夕食
五穀ごはんと鳥の唐揚げ筑前煮、豆腐サラダ(これがおいしくて福岡滞在中に何度も注文する)
どこで食べたのか・・・記憶にない。大変、思い出さなくては。

この日の宿
ネット予約で博多・祇園の「山本屋旅館」。老舗旅館と言えども破格のお値段。
一日一組のみのラッキーゲストとなる。
宿の全貌を撮影すべきだった。
大丈夫かな? この価格で・・・・一抹の不安を抱きつつ、長い旅路でたまには「破格」の宿もありとの判断から決断した宿だったが、お風呂がとても良かった。
家族風呂だが、ゆうに5人は入れる広さで、お湯の量もふんだん。
温泉ではなかったが。
宿の主人は、飾り気のない人で、作り笑いがあるわけでもなく素朴なお人柄。
翌朝、奥様と思しき方に心をこめてお礼を言う。
お一人様、千円。
「次回もこの価格でしょうか?」と難題を言ってしまった私。
「いえいえ、月に一組様だけですから お宅様はラッキーでしたね」
こういう旅館もおもしろい。
また、こんな宿のあたるといいな。