7月8日(日)晴れ

1人1人の復興へ 避難生活と帰村計画について

・避難後のコミュニティづくり・・・・7月 避難先での自治会組織の検討

・9月初旬 12の自治会。連絡協議会が設立。

・9月19日 「絆つながる「までいな一日」」 松川仮設住宅駐車場で開催 1500人住民参加

・家族とのふれあい・土との接触・1人1人が役割のあった暮らしが奪われた。

・わずか3割の村民のコミュニティ。他はコミュニティの絆が及ばない所で暮らす。
 
  帰村計画への非難
  ・2011年10/4「飯館村の今とこれからー村民にとっての復興とは」における不安と批判
  ・村の帰村計画への厳しい批判
  ・当面、帰村は諦めるべきとの村民からの意見
 
  住民懇談会の開催
  ・2011年10/1から12/5まで17回の開催
  ・計画的避難区域のため国の許可を得ないと何もできない、進まない。
  ・除染計画への批判
  ・若い人と高齢者の対応の違い


  住民参加の復興プラン
  ・村民会議(2210人は村民)から12/8に「いいたて、までいな復興計画」村長に答申
  ・目標右矢印村民一人一人の復興 
 ダイヤ2年で帰村→2年後に村民の一部・一時的な既存の開始

ダイヤ5年後→希望する全村民の帰村の実現

ダイヤ10年後→復興の達成
★役場職員の言葉
 
「本当の意味で、一番悔しさを感じていて、いちばん村への思いが強いのは、都市部での便利な生活よりも村で生活する事を自ら選び、村で子どもを育てようとおもって生きてきた若者達であると思う」

「でも冷酷な現実がある。それでもその現実に目を背けないように努力しているのが 今の若者の姿であると思う。だからこそ、いろいろな言葉や主張の食い違いはあるかもしれないけれど、胸の奥にはみんな村を愛する心があるからこそということに各々が確信を持てれば この未曾有の苦しみの中でも、孤独にならず、絶望せず、力強く前を向いて生きていけるはず」と役場職員の杉岡さんは、強調する。


まとめ(私的感想)

飯館村と20年近く、関わってきた千葉さんたち、研究者や学生たちと村職員や村民の間には、「信頼関係で結ばれた友情が築かれている」と、著者自身もあとがきで書いている。

その飯館村が直面した全村避難への無念さは本書に滲み出ている。
不条理を嘆き悲しむのではなく、そうした状況を乗り越えるべく負けないで前へ進もうとしている村の人を見ると、逆に励まされるとある。村民と共に涙してきた著者ならではの言葉と推察する。

本書の目的が、「著者の考えを伝える事よりも、飯館村の今(住民の声や村の取組)をそのまま伝える事にあると思った」とあるように、個人的な主観や考えを排除した報告書として 読むべき性格の本である。私も、また、「思い」を表す事よりも、飯館村がどんな村づくりをしてきたのか、再度、ブログに残す事で、飯館村のことをしっかり覚えておきたいと思った。

飯館村では、●論点で紹介した通り、現在、「除染」と「帰村」を巡る激しい意見の対立があるということだが、原発事故に遭ったほとんどの自治体の住民は、意見を表明したり、行政とぶつかりあったりできていないように思うと著者が最後に書いているのがとても印象に残った。

非常事態に置かれれば、それぞれに主張が対立することは予想できることであるが、公の場で、意見表明ができるのは、これまでの飯館村の村づくりの中で、住民同士が鍛えあってきたからに他ならないと思う。行政に対してもきちんとモノが言えること、互いの立場の違いを認めたうえで、意見を述べ合う訓練が、長い間にわたって知らず知らずの間に培われてきた。

村づくりの過程で、行政職員が率先して、飯館に共に暮らす者として、住民を中心に村づくりを進めてきたからこそであったと思う。避難先でも「1人1人の復興」が大切だと考える人たち、1人1人がどこにいても、立ち直ることだ、すぐに戻れなくても、1人1人が飯館の人間として復興しようと言う心意気に読者でしかない自分も熱くなってしまったのでした。
長々 長文を掲載してしまいました。