9月2日(日)晴れ
ついに、この日がやってきた。

絶望の淵からしか 光は見えてこない(講演中の言葉)

朝 10時半、玄関入り口に「案内看板」が立つ。まだ開始までに3時間。
前回と同じく、大垣市のKさんが快く書いてくださる。
前回もKさんにお願いしたのだけど、皆さんから「あの字はどなたが書かれたのですか、素晴らしい」とお褒めの声をたくさんいただいた。
普段、垂れ幕の文字にこのような印象を持つ事も、聞く事もあまりないのだが、Kさんの文字は皆さんの目に留まる事が多い。それだけ心に響くものがあるのだろう。とてもまねのできない文字である。
 下記の2枚は私が撮影、他はK君の提供による。(感謝)

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受付の準備が終わって一服・・・・
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森住さんの著書販売コーナー
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舞台の花
灯りをあてるとこんな風に華やいで・・・・
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灯りを落として黒い幕を背景にすると、こんな風に色が際立って・・・・
横長の舞台を引き立てる様に、幅のある花空間。
知人のKさんが、舞台をチェックし、企画の内容を考え、今日の内容にふさわしい活け方をして下さった。入念に心配りがされたお花は、放射能被曝の地獄絵が映し出されるスクリーンの傍らで希望の花のように思えた。
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講演開始、その前にバイオリンとピアノのジャズ演奏があった。
写真を近いうちにアプしたい・・・


本日の講師 森住さん登壇
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イラクの劣化ウラン弾の被害報告から

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講演終了後のロビー 

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サインする森住さん、
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イラクに未来はあるのか?劣化ウラン弾の想像を絶する被害に絶句!
見るに堪えない子供たちの異常な姿、医薬品のない環境で麻酔もない中、腹水を抜く注射針に
悲鳴をあげる子どもを前にためらう気持ちを振り切って撮影。
森住さんは目を背けたく現実を直視し、現場に飛び込んで行かれる。

出産後、数日で命が絶えようとしている無頭症の子どもにカメラを向けるのはとても辛いと・・・・
しかし、医師は「この子を撮影してほしい、この子は間もなく命を終えるでしょう。しかし、この子は事実をを伝える為に生まれたきたのです。それがこの子が生まれてきた意味なのです。早く撮影しなさい」と背中を押されて、シャッターを切ったと語られた。

子供達の運命が過酷過ぎて言葉にならない・・・・・・。
こんなことがあっていいのかと怒りが湧きあがる。
こんな状態が続けば、一つの民族が絶やされてしまうのではないかと背筋が寒くなる。
確か、チェルノブイリだったと思うが、被曝地帯のどこかの病院では、「健康な子供が産まれる比率よりも異常を持って生まれて来る子が多くて、それは赤ちゃんと言うよりは、何が出て来るかという恐れに近い」と言う施設関係者の言葉が、絶望を物語る。

下記を参考にしてください。

湾岸戦争後のイラク 


チェルノブイリを上回る放射線量の福島原発事故、
1986年4月のチェルノブイリ事故から20年目の2006年3月、森住さん チェルノブイリ訪問。
その時の記録に、汚染地区へ家族ぐるみで移住してくる民族があった。
移民政策の一環で、周辺から移り住み、廃材などを片つけたり、利用して定住の場としている。

過疎化対策ということで、依然として放射線量の高い場所に人々を移住させると言う政策が進行している。子供達がそこで暮らす事がどういう結果を招くのか。

原発爆発直後の飯館村に入った広河さんや森住さんらフリージャーナリスト協会のメンバー数人は、飯館村前田地区公民館前で、100μ㏜/hを記録。

世界のど
んな被曝地帯でも記録した事のない数値、危険を知らされていない住民に、緊急避難を勧め、報道機関に緊急事態を知らせたとのこと。

国が飯館村を「計画的避難区域」に指定したのは、40日後の4月22日。
人々の中には積算被曝線量が、20ミリ㏜/h近くになってしまった人がたくさんいると言う。
除染によって暮らしを取り戻したい気持ちはわかるが、それよりもまず子どもたちを避難させる、できれば集落ごとにコミュニティとして移動ができれば・・と思うがと森住さんは憂う。

除染のこと
除染で放射能汚染を完全に克服できるのか?
山から雨のたびに流れてくる汚染水や地下に浸み込んだ水は何処へ出ていくのか・・・・不安が尽きない。除染にかかる時間と費用・効果を考えたら、新しい土地で(コミュニティを作れる単位で)安全に暮らすことの方が良いのではないか。特に子供達の事を考えるべき。
森住さんは、そのようなお考なのだが、現実はそうはいかないようだ。


森住さんファンが急増
アンケートでも、講演会後の雑談でも森住さんへの称賛が多かった。
重い深刻な現実の映像を淡々と語る森住さん。
大声で主張する訳でなく、気合を入れて「これも、あれも」と並べ立てるわけでもなく、写真の力を信じて、言葉はそれを補うに留めると言った、制御の効いた語り口が、かえって、聴衆の賛同を得たのではないか。
その写真1枚を撮影するまでの前後に、森住さんは<絶望的な世界>と直面していたのだと気付かされる。開かれるべき、未来への扉が閉ざされた絶望的な世界を知らされる。
それが、数年後に福島原発事故がもたらすものだとは誰も、認めたくはない。
まさか、日本はそうならないだろう・・・・
自分だけは放射能を吸わないから問題ないだろう・・・・
そんな事は言っておれないことだと気づかされる。
もう一度、来てもらいたい!


次回の講演会でキルテイングを披露したいと言う申し出があった。

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役割りがあると撮影ができず、写真がほとんどない状態。
撮影係りの人から数枚、写真をお借りした。

自分の感想
森住さんは、地方ではあまり知られていないので、果たして皆さんが来て下さるか、不安だった。
どうすれば、皆さんに来て頂けるのか、本当は、宣伝活動などしなくても、待っているだけで満席になるならありがたい話だが、そんなわけにはいかない。

暑い暑いと言いながら、凍らせたお茶を車に積んで、なりふり構わず、知り合いを訪ね歩いた夏。

アンケートには、「ここまで世界で、被曝がひどいとは知らなかった」、「来てよかった、もっと多くの人に知らせて欲しい」、「企画してくれてありがとう、次回も参加したい」という声がたくさんあって、3回目のチケットを帰りに購入して頂いた。

多くの人が、本当の事を求めている。
そう、国民は本当の事が知りたい。
自分たちは 事実を知らされていないことを知っている。
騙されているのではないかと思っている。
国民には真実を知らせる必要などないとまで思われているのではないか。
つまり、国民はなめられて切ってきた・・・・のではないか。

ジャーナリストはどうあるべきか、その真髄を見せてくれたのかと思う人だった。
判断は、それぞれに任せるとしても、人々が正しい判断ができるためにも真実を伝える役目が、ジャーナリズムにあるのでは?
それに応えられるジャーナリストであることを人々が確かめ、私たち自身も励まされた講演会であった。