こんにちは、リブラです。
今回は、ジェームズ・ドゥティ著「スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック」の解説です。
第7章「それは受け入れられません」のあらすじ
ジム(ジェームズ・ドゥティ)は、「願い事が何でも叶うマジック」をルースから習って以来、ずっと医師になることを夢に描き続けていました。
相変わらず、父親はアルコール依存症で、母親はうつ状態で、家庭は常に経済危機状態でした。
そんな状況でもジムは自分の将来を諦めず、様々な困難を乗り越えて大学に合格しました。
やっと、両親から離れて大学生として自分の道を歩み始めたジムでしたが、その後も両親は彼に依存し問題を起こすので、フルタイムのバイトと家族のことに追われ、大学で優秀な成績を残すことができませんでした。
アメリカのシステムでは、大学を卒業した後にメディカルスクールの入試があり、それに合格しないと医師になる道は断たれてしまいます。
しかも、メディカルスクールは受験資格として、大学の推薦状が必須でした。
ジムは、大学の推薦状をもらうための面接を受けることすら、「この成績ではメディカルスクール合格は無理」という理由で事務員に断られてしまいます。
そのとき、ジムは「受け入れられないことを受け入れる必要はない」というルースの言葉を思い出し、
「あなたの時間も委員会の時間も無駄にするつもりはありませんし、面倒を起こすつもりもありません。
でも、面接のアポを入れてもらえるまで帰りませんから。何時間でも待ちます。
会っても無駄なんて、受け入れられないんです。受け入れません」と粘り、面接のアポを取り付けました。
なんとか面接にこぎつけても、3人の面接官のうち2人はあからさまに「この面接は時間の無駄。こんな成績でメディカルスクール受験なんて傲慢の極み」とジムを罵りました。
ここでもジムは「状況にただ流されていてはいけない。他人に自分の価値を決めさせちゃいけない」というルースの言葉を思い出し、「人の夢を壊す権利があなた方にありますか?」と言い放ち、
「成績のいい人がいい医師になるという証拠はどこにもありません。
誰にでも一生に一度ぐらいは、みんなに無理だと言われることをやるチャンスが与えられてもいいはずです。
皆さんがここにいるのも、誰かが皆さんを信じてくれたからでしょう?
皆さんに僕を信じてほしいんです!」と思いのたけをぶつけました。
すると、ずっと傍観していた1人の面接官がジムに握手をして、
「ジム、いつもわたしたちが忘れがちなことを思い出させてもらったよ。
目の前に座っているのは、ファイルじゃなくて人間だってことを忘れてしまうんだ。
要求された基準を満たすことが絶対じゃない。
ここに来るには緊張しただろう。
さっきみたいなことを打ち明けるには、情熱と勇気がいる。
君は諦めないな、違うか?」と尋ねました。
ジムはきっぱり「諦めません」と答えて面接を終えました。
こうしてジムはメディカルスクール受験に必要な大学の推薦状を手に入れました。
やっと医師になる道が拓かれたジムでしたが、その直後に父親はロサンゼルスの拘置所から電話をしてきて迎えとお金の支援を要求し、メディカルスクール受験直前には行方不明になり、危篤状態でテネシー州の病院に運び込まれました。
メディカルスクール受験も迫り、病院に会いにいくための時間も飛行機代もなく、ジムは父の死の知らせを病院からの電話で受けとることになりました。
父の死から2週間後、ジムはメディカルスクールの合格通知を手にしました。
「スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック」より引用。
「一難去ってまた一難」という感じで、障害物競走のようにジムはトラブルや困難に見舞われます。
この災難は偶然なのか?それとも彼が突入した道は間違っていたのか?
これらの災難は偶然じゃないし、道は間違ったいないことをジム(ドゥティ博士)は、実際にトラブルや困難をルースの教えに従い切り抜けることで明らかにしています。
両親と離れて暮らす大学生になっても、ジムが大事な試験があるときに限って危機一髪の事態になるのは、「アルコール依存症の父親が警察のご厄介になる」、「うつ病母親が自殺未遂を企てる」、「経済危機で住むところがなくなる」という過去にまつわる記憶が、ジムの脳裏にこびりついて離れないからだと思います。
その記憶を教訓とする思考回路(観念)とそこにまつわる感情のイメージを材料に、ジムの潜在意識は不幸な両親に依存されるセルフイメージを密かに作っていたのです。
自分独りのときは「医師を目指す勤労大学生」でも、「不幸な両親の息子」というセルフイメージは、持ち続けたままだったのです。
ジムはルースのマジックを中学生のとき習い、夢に描く自分(医師)になるためイメージワークを続けてきました。
ですから、ジムの人生は家族とは違う方向に分岐を始めていたのです。
もし、ジムが自分自身に対して描くセルフイメージと、彼の両親がそれぞれに抱くセルフイメージを並べて見ることができたとしたら、そのギャップから、自分と両親はいる次元がまったく違うとわかったことでしょう。
本来ならばわたしたちの潜在意識は、その波動のギャップを感じて周波数帯ごとの棲み分けを無意識にします。
自己肯定をする意識がありポジティブな見方をする人は、自然にそんな人々と共にいるようになり、被害者意識を持つ人々は被害者フィルターを通したものの見方を共有するでしょう。
自分の人生を自ら創ろうとする存在(ビーイング)の波動と、物質界の制限のルール中でちんまり収まろうとする存在(ビーイング)は明らかに違い、そこに引き寄せられる世界線も違います。
ジムは貧困家庭でも、自身の心の中では自由に夢を描くことができましたが、彼の両親はお金がない現実に心の中まで浸食されて不幸な未来しか描けなくなっていました。
そして、面接のアポを入れるのを渋った事務員も、2人の面接官たちも同様でした。
「成績が基準に達していない生徒は、推薦状なんて書いても無駄になるだけ」と決めつける考え方をしていました。
それは、かれらが「成績が悪ければチャンスも与えられない」というルールの世界線の存在であることを示しています。
もし、そこでジムがかれらのルールを受け入れてしまえば、そこには「成績が悪ければチャンスも与えられない」という未来が待っていたでしょう。
しかし、ジムはずっと医師になるセルフイメージを温めてきたから、
「会っても無駄なんて、受け入れられないんです。受け入れません」とアポを取り付け、
「人の夢を壊す権利があなた方にありますか?」と言い放ち、
「目の前に座っているのは、ファイルじゃなくて人間だってことを忘れていた」と面接官に思い知らせることができたのです。
これが、自分の心の中に望むセルフイメージの存在がある人と物質界の制限の虜のセルフイメージの存在がある人が引き寄せる世界線の違いです。
セルフイメージは潜在意識で構築されます。
潜在意識は陰の性質で、陽の性質の顕在意識の指令の下に働くシステムになっているので、「わたし~である!」と強い陽の存在(ビーイング)を主張すると、ひれ伏して従うのです。
「医師になる!」というセルフイメージを強く主張したジムに、面接官たちの潜在意識はひれ伏すしかなかったわけです。
わたしが臨床検査技師を目指したときも、ジムと似たような現象が起こりました。
わたしの父は「女は高卒でたくさんだ。早く銀行員なって家に金を入れろ!」と進学に反対しました。
でも、わたしは「病院で働く検査技師」のセルフイメージが既に心の中に定着していたので、銀行員になっている自分を想像することができませんでした。
まるでGPS機能のように、目指すゴールまでのルートにどこに居ようともナビゲートしてくれるのが「未来のセルフイメージ」なのです。
だから、どんなに暴力を受けても諦めず、隠れて勉強し受験したのです。
わたしには経済問題を乗り越えるためのアイディアがありました。
隠れて勉強して確実に受かるには私立の専門学校の数学と化学だけの受験科目を狙うしかありませんでした。
国立は5科目受験だったのです。
だから、私立で確実に合格したらその合格通知を父に見せて、「今年は受かったけれどお金がないから辞退する。その代わり、1年浪人させてくれれば、その間に5科目受験の準備と私立の入学金と授業料をバイトで稼ぐから。親に一切負担をかけない」というつもりでした。
ところが、なぜか、わたしが学校から戻る時間よりも早く父が家に居て、合格通知を受け取ってしまったのです。
家に入って、父が右手にわたしの合格通知を左手に受話器を握って話しているのを見たときには、恐怖で凍り付きそうになりました。
殴り殺されるか、家を追い出されるか。
きっと浪人する話なんか聞いてもらえないだろうと思いました。
でも、電話の内容に聞き耳を立てると、父はお金を誰かから借りようと電話をかけていたのです。
だから、受話器を置いた父ががっくりしてお金を貸してもらえないといったときに、「来年までにお金を貯めて私立に行くか、国立に受かるかするから、お金は借りる必要はないよ」とわたしが言うと、
父は「浪人なんか認めない。今年ここに行け!」と怒鳴りました。
すると、母がオロオロと震える手でへそくりの50万円を差し出してきました。
わたしは、20万円の貯金がありました。
でも、必要な金額に10万円足りませんでした。
父は10万円だったら借りられるかもしれないといってましたが、わたしは自分で貯めたお金で学校に行くつもりだったので、その日の晩、進路のことを気にかけていた祖母に電話をして、
「今年私立は受かったけど、国立に行きたいから準備して来年受ける」と報告しました。
もちろん、祖母にはお金が足りないからということは一言も話していませんでした。
ところが、翌日、祖母から現金封筒で10万円が入学祝いとして送られてきて、わたしはその年入学することができました。
父が祖母に頼んだのかと思ったら、そうではなく、先に入学祝いを送ってしまえば、受かった学校に行く気になるかと思ったと祖母は言ってました。
その後は、もちろん、バイトで授業料を稼ぎ試験勉強とレポート提出に追われる学生生活で、毎日綱渡りのような3年間でした。
でも、どんなに困難な問題が出てきても「臨床検査技師として働いているセルフイメージ」が心の中に定着していたので夢を諦めることはありませんでした。
占い師になるときも、起業する10年くらい前から、既に無償で友人や知り合いの相談にホロスコープを使って答えていたので、自然に占い師のセルフイメージが定着していたと思います。
25年間の病院勤務にピリオドを打って占い師起業をしたとき、どうやって占いのお客様とつながつたらよいか手探り状態だったのですが、ブログを読んでくださった方々が申し込んでくださり、今に至っています。
だから、セルフイメージのビーイングの波動が未来を引き寄せることを、望む未来までナビゲートしてくれることをわたしは信頼しています。
次回は「人生を開く最強のマジック」の解説を予定しています。
わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみをホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題にセルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。
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新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。