こんにちは、リブラです。今回でウエイン・ダイアー著「老子が教える実践道(タオ)の哲学」は最終の81章を迎えたので、解説も最終回になります。
第81章「無に始まり、無に終わる」
「真実の言葉に、美はない。美しい言葉に、真実はない。善意ある者は、論じない。論ずる者に、善意はない。徳のある者は、あら捜しをしない。あら捜しをする者に、徳はない。
賢人は財を貯めず、すべてを他者に与える。財が増えれば、増えただけ与え尽くす。
天は、すべてに善を為し、何者をも害さない。賢人は天に倣い、すべてに善意を尽くし、何者とも争わない」
ー老子が教えるタオの哲学ー
自分の身体と自分の所有物を、万物流転の世界の観点から、改めて眺めてみましょう。
「真実の大海原で泳ごうと思うなら、自分をゼロにしなければならない」とマハトマ・ガンジーは言っています。
ゼロすなわち「無」の視点に立って、この世界であなたが蓄積した物を眺めてください。すると、何一つ確固とした真の存在はあり得ないことがわかるでしょう。
自分の所有物や考えに執着しそうになったら、いつでも、ゼロの視点に戻ってみることです。
今日のタオ
サム・ハミエル訳「新訳道徳経」の81章には次のように書かれています。
「賢者は蓄えない。ひたすら与える。
他者のために生きるほど、賢者の生命は偉大になる。
他者のために与えるほど、賢者、いっそう豊かになる」
この詩を熟読して、1日1回、「ひたすら与え」てください。この物質界にあって、あなたは自分の生命の中を流れる道(タオ)にエネルギーを与えることになるのです。
物質界の分離思考の発想では、「無」には全く価値がなく、「無」から「有」を生んでこそ価値ありと見做されます。
よく人は、残念そうに言います。「がんばったけれど、何もならなかった」とか、「努力が水の泡になった」とか。
確かに、物質社会では形になる結果を出さなければ、たとえそこにエネルギーを注いだとしても、何もしなかったのと同じ扱いになります。
でも、スピリチュアルなユニティの発想では、結果は副産物であり、そのプロセスに価値を置きます。「結果」だけ、「目的」だけ切り取って観るのではなく、そのプロセスで経験した様々な感情に価値を置くからです。
無限で永遠の存在である「大いなる源(神)」は、自分自身を知るために分霊となり、すべてが唯一無二のハーモニクス(波動)を持つ魂意識として次元降下して人間の転生を始めました。
「大いなる源」もその分霊である魂意識も「喜び」の波動しかありません。ですから、物質に宿り進化を切望する身体意識(エゴ)と組み様々な感情を経験させ、その観察を意図して人生を設計しています。
フルリーディングでホロスコープのハードアスペクトを読み、アカシックレコードで過去生を読んで照合させると、人間の内的葛藤の発生とその統合のプロセスに魂がどれほど深い関心を寄せているかが伝わってきます。
このしくみを知ってしまうと、「今ここ、この瞬間」を身体とともに感情を感受し、それをニュートラルな視点で観察することが宝石のように貴重な時間であると思うようになります。
一つの人生が終わり、肉体を離れバルド(中間世)でわたしたちの魂がその転生の成果のように眺めるのは、ひたすら「感情の記憶」です。
生まれたときから物質社会の分離思考を刷り込まれたわたしたちは、つい、何を成し得たかの「結果」や「目的」だけ分離し、そこに価値を見てしまいがちです。
すんなりとんとん拍子に思い通りの「結果」や「目的」を獲得することをわたしたちの身体意識(エゴ)は喜びますが、そのときに大きな感情の起伏がない限り、後から振り返るとまるで印象に残らないのは、魂意識があまり興味を持っていない証拠です。
わたしたちの魂意識は様々な感情を観察するために人間の転生していますが、それと同時に身体意識(エゴ)の精神的な進化を見守り導くことも役割としています。
それ故、形になる「結果」や「目的」を獲得することに走る身体意識(エゴ)と、精神的な進化を促すイベント(葛藤)を設定して感情のプロセスを観察したい魂意識とでは、いつも方向性が逆になることが起きてきます。
「執着しそうになったら、いつでも、ゼロの視点に戻ってみる」ということも、「ひたすら与える」ことも、エゴは気乗りしないけれど魂意識には興味深いことなのです。
そうした精神的な進化を促すイベント(葛藤)に遭遇するとき避けずにトライすれば、「ぜんぜん気乗りしなかったけれど、思い通りの結果にならなかったけれど、それを経験してひと回り心の器が大きくなった」と感じたときは、エゴも身体も魂意識も三位一体になって「喜び」の波動で共鳴しているのです。
身体意識(エゴ)も肉体に宿る前は、精神的進化を切望して人間の転生に挑んでいるからです。わたしたちの人生の目的は、本来、魂意識も身体意識(エゴ)も一致しているのです。
老子の説いた81遍の「道徳経(タオの哲学)」は、魂意識側から観た人生の指針です。エゴの視点で眺めるとことごとく常識の逆を行くように感じたり、理想主義に聞こえたりするかもしれません。
けれども、あなたの魂意識が常にあなたのエゴに向かって囁いている導きでもあるのです。わたしは折に触れて、この本を開き、自分の中のエゴ視点に気づく機会としています。
「老子が教えるタオの哲学」の解説ブログを書くことを、わたしのエゴは気が進まない感じだったのですが、こうして81章まで終えて、わたし自身とても今、充実を感じています。「老子」のブログ記事にお付き合いくださった読者の方がたにも感謝しています。
次回はエリクソンの「わたしの声はあなたとともに」の解説を予定しています。
わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみをホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題にセルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。
詳しくはこちら をご覧ください。
新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。