こんにちは、リブラです。今回は、ウエイン・ダイアー著「老子が教える実践道(タオ)の哲学」の解説です。

 

 

第73章「天の網は世界を覆う」

 

「向こう見ずに挑戦すれば、破滅する。思い切ってタオに倣えば、生命を得る。どちらを選んでも利するときあれば、害するときもある。

天の道は、努めずして勝利する。話さずして、答えを手にする。求めずして、ことごとく満たす。急がずして、ことごとく遅れずに為し遂げる。天の網は目は粗いが何一つ逃さない」

ー老子が教えるタオの哲学ー

 

慎重とは、一歩退いて自然の成り行きに任せる心の余裕だと考えましょう。慎重さを、弱さや恐怖の証と決めつけないこと。

 

勇気は、すばらしい資質ですが、無謀な勇気ーただ闇雲に突き進むことーとなると、その先には災いが待っています。

相手を負かそうと必死に闘う必要はありません。

 

求めずして勝利を収める天の道に任せましょう。とっさの反応には、どうしても「勝とう」「負かしてやる」というエゴの欲求が強く表れてれしまうものです。

 

進んで聞き役になりましょう。相手に求める答えや期待する結果は、こちらから話しかけもしないときに、得られることが多いものです。自然と調和して、耳を傾けましょう。自然はあなたの力になってくれます。

 

今日のタオ

 

自然の中を1時間ほど散歩して、天の網に包まれた神羅万象として眺めてみましょう。とダイアー博士は言っています。

 

わたしたちにとってはなくてはならないものです。意欲が湧かなければ行動に火が点きませんが、欲に翻弄されると自分を見失い破滅を招きます。は人生に不可欠な原動力でありながら、操縦を誤ると危険な自動車みたいなものです。

 

は通常モードでは到底たどり着けない高みにわたしたちを押し上げます。にはわたしたちに枠越えの勇気を奮い起こす効果があるのです。

 

数秘1~9の桁の枠組みを越えるマスターナンバー(ゾロ目の数)の「11」は、最初に1桁を越える数字なので、常識の枠を超えるパワーがあります。

 

タロットでは78枚のカードのうち、マスターナンバーを持つのは11(Ⅺ)番だけです。トートタロットでの11番の絵札は、「欲望(Lust)」というタイトルがついています。

 

この11(Ⅺ)番「欲望(Lust)」は、クロウリーの描く「生命の木」の中では、ゲプラー(峻厳;火星支配)とケセド(慈悲;木星支配)をつなぐ<テス>のルート(小径番号19)に位置します。

このルート(小径番号19)はティファレト(美;太陽支配)を越えた辺りにあり、ケテルまであともうちょっとの所です。

 

「生命の木」をボードゲームふうに眺めれば、中庸の柱の一本道を真っ直ぐマルクト(物質王国;地球支配)→イエソド(基礎的本能;月支配)→ティファレト(美;太陽支配)→ケテル(王冠;海王星支配)へと上るとゴールに到達して、「覚醒ゲーム」のあがり!となります(実際はそう簡単にはいきませんが・・・)。

 

トートタロットで観るならば、11(Ⅺ)番「欲望(Lust)」は、ゲプラー(峻厳;火星支配)とケセド(慈悲;木星支配)を操縦して手に入れるものなのです。

 

欲望(Lust)」の女神が手にしている聖杯は、「欲望の獅子」に乗らなければ見つかりません。しかし、「欲望の獅子」を手綱で操ることができなければあらぬ方向に連れて行かれます。

 

火星の衝動・モチベーション木星のチャンスの時期を見計らう大らかさなしには、「欲望の獅子」をうまく乗りこなすことはできません。目的にフォーカスを当てる集中力全体性の流れに乗る冷静さが必要なのです。

 

欲しくてたまらないものであればあるほど、人はそれを得ようと躍起になって冷静さを失います。そんなときは「欲望の獅子」を手綱で抑えられず、翻弄されている状態です。翻弄されている間は欲望に駆られるだけで、けして満たされることはありません。

 

欲しくて追いかけているものと、「ほんとうの自分」が欲しいものが違うからです。「欲望の獅子」の向かう先と女神が握る聖杯の在り処が違うように。

 

冨が欲しくて仕事に明け暮れていても、ほんとうに欲しかったのは家族と味わう豊かな環境と時間だったり、

 

恋人の注目が欲しいと思いを募らせていても、ほんとうに欲しかったのは自身の子ども時代の愛の欠乏感を埋める何かだったりするのです。

 

「ほんとうの自分」が欲しているものは、欲望を追いかけるプロセスで見つかるのですが、欲望に翻弄されていると獲得することや最終的な結果ばかりに心を奪われて、ほんとうに探しているものを見過ごしてしまいます。

 

欲望を追いかけるプロセスで獲得することや最終的な結果に対する執着が手放せれば、自然な成り行きを信頼して任せることができるようになります。そうすると何ひとつ逃さない天の網を欲しいものにかけることができます。

 

執着が引っかかるとティファレト(美)のハードルを越えられないのです。11(Ⅺ)番「欲望(Lust)」は、欲望で枠越えをするのですが、そのプロセスで欲望を「自己実現」の聖杯(ほんとうの自分が欲しているもの)に純化していかなければ、目指すゴール(ケテル)に向かえません。

 

それは言い換えれば、どんな欲望も執着をそぎ落とせば、自己覚知の手がかりになるということです。「自分は何なのかを知る」ために欲が出て、その欲を追いかけるプロセスで執着を手放すことができれば、何を自己実現すればいいのか自ずと明らかになります。

 

忘れた頃に願いが叶ったり、諦めたら失せ物が出てきたり、別れを決断すると恋人が戻って来たりするのは、執着によって遠ざけられたものが、執着を手放すことで自然な成り行きの流れに乗り、本来の行き先にたどり着く現象です。

 

次回も「老子が教えるタオの哲学」の解説を予定しています。

 

わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみをホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題にセルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。

 

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新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。