こんにちは、リブラです。今回は、ウエイン・ダイアー著「老子が教える実践道(タオ)の哲学」の解説です。

 

 

第72章「畏れよ、受け入れよ」

 

「人の心が畏敬を忘れれば、災いが訪れる。人が地上の力を怖れなければ、偉大な天の力が顕現する。

己の視野を狭めるな。己の生まれを蔑むな。己の生命の本来の流れに逆らうな。

そうすれば、この世に倦むことはない。

 

賢人が、智恵を持ちながらも、智恵を誇らず、自らを愛おしむが、自惚れないのは、外より内に心を向けるから

ー老子が教えるタオの哲学ー

 

当たり前の世界を、驚きと畏敬の目で眺め直してみましょう。畏敬の心を持てば、ありとあらゆるものが奇跡であり、万物万人を潤しながら流れる無形のタオが見えてきます。

 

あなたの身体は、あなたの生命の器です。今の身体で生きる今の人生を慈しみ、ありのままの自分を受けとめましょう。

 

今日のタオ

 

これまで当たり前と思ってきた自然の存在を5つあげてみましょう。それを一つ一つじっくり眺め直して、あなたの心に特記してくださいとダイアー博士は言っています。

 

空って青く見えますが、ほんとうに青いわけではないですよね。何もないように見える空間に、細菌もウィルスも無数にいるし、酸素も窒素もあるし、紫外線だって放射されている・・・。

 

わたしたちが現実と思っているこの世界は、自分の見たい見方で見えるものしか映し出されません。目で見たものをダイレクトに認識しているのではなく、視覚で捉えたものに脳が過去の情報と整合性を図って認識しているのです。

 

だから、はじめから「ここには何もない」と思い込むと、目に着くものがあっても見落としてしまいます。それは言い換えれば、「この世界をどう見るかは自分で決めている」ということです。

 

そして今回の老子先生の教えは、「畏敬の念を持ってこの世界と己を眺めなさい」ということです。

いつも通りに太陽の日差しを浴び、水を飲んだり、呼吸をしたり、歩いたりすることを当たり前と思ってしまうとそこまでなのです。「なんだいつもと変わらないつまらない日常だ」と思ってしまいます。

 

ところが、「太陽って、水素とヘリウムが核融合してエネルギーを放射しているんだ。人類のテクノロジーが核融合を扱うほど進歩してやっと人は太陽が作れるようになるのか」と思って太陽を眺めれば、その光の眩しさ、荘厳さをひと際感じることでしょう。

 

水も呼吸も身体が動くことも、自分も含めた地球の生き物の生命活動も、「畏敬の念」を持って眺めたらすべてに神々しいまでの神秘性を感じます。

 

太陽は世界中で信仰の対象になっているくらいなので、「畏敬の念」を持つのは容易いかもしれません。

それではもう少しハードルを上げて「己」に「畏敬の念」を持って眺めてみましょう。

 

人間の身体は「小宇宙」とも言われています。なぜだと思いますか?宇宙のように、まだ、明らかになっていないことがたくさんある神秘の領域だからです。

 

自分の身体だからわかったようなつもりになっているだけで、その機能も使い方も未知のところが多く、可能性も無限大です。

なにしろ「小宇宙」なのですから。わたしたちは誰もが「小宇宙」に乗り、人生を創る創造主なのです。

畏れ多いではないですか。

 

そうは言っても、自己肯定感が低くて自分に自信が持てない人も多いと思います。何を隠そうこのわたしも、かつて劣等感と自己嫌悪の塊でした。物心ついた頃~18歳ぐらいまでは、人と話すことが恐怖で、本だけが心を許せるお友だちでした。

 

そんなわたしを導き自信をつけさせてくれたのがわたしのホロスコープのみずがめ座土星です。わたしはアセンダントもみずがめ座で、1ハウスにはうお座キローンも同居しています。

 

土星が1室(本人のハウス)にあると、とても自分に厳しくストイックになるので、なかなか自分を肯定することはなくプレッシャーばかり与えます。それに加えて苦手意識のキローンがあるので、自分にダメ出しの嵐です。

 

みずがめ座は不動サインなので頑固です。メインテーマが「I know.(わたしは知る)」なので理屈屋です。アセンダント不動サインならディセンダントも不動サインですから、人に対して適応力に乏しく、人付き合いが苦手になります。

頑固に自論にこだわり、理屈っぽくて人付き合いが悪いわけですから、嫌われます。だから、子どものとき、独りで遊ぶ方が好きだったのです。

 

小学生の低学年の頃は、近所の蟻の巣を観察するのが日課でした。あるとき、ハエから卵ではなくウジが産まれて来るのに驚き(虫は卵を産むはずなのに、直に幼虫が産まれているのに驚いた)、そのウジを一匹一匹巣に運んでいく蟻たちの様子を好奇心いっぱいに眺めていると、近所のおばさんに「なんでお友だちと遊ばないの?」と怒られました。

 

そのおばさんに襟首をつかまれて引きずられ、ゴム縄遊び場をしている女の子たちのグループに「この子ひとりぼっちでかわいそうだから、混ぜてあげてね」と押しつけられました。

 

おばさんが立ち去るのを見計らって「わたしはゴム縄は嫌いだから遊ばない」と女の子たちに言って家に逃げ帰りました。

「虫が好きな子となんか遊びたくないよね」とその女の子たちは心で呟いているはず、とわたしのうお座キローンは察知して、言われる前に逃げたのです。

 

みずがめ座のアセンダントと土星は、自分に興味があることを貫いて孤立することに潔いのですが、うお座キローンはどこにも溶け込めない自分にダメ出しをするのです。そんな感じだったので、独りで昆虫や植物の図鑑を読んだり観察する方にさらにのめり込んでいきました。

 

その独り遊びが顕微鏡でミクロの神秘の世界を垣間見ることに発展していき、臨床検査技師として働く25年間につながりました。もう一つの独り遊びがホロスコープリーディングで、それは現在の本業につながりました。

 

1室にキローンと7室に天王星と冥王星のハードアスペクトがあるため、対人関係でいつもコンプレックスを感じていました。だから、独りでそっと自分のことを「知る」ことができるホロスコープはわたしにうってつけのツールでした。そして、自分のキャラを星で理解するにつれ、嫌いは好きに変わっていきました。

 

自分のだめなところや嫌いなところは、単にみんなと合わせられないとか興味の方向が違うとかの、個性の違いであることがわかったからです。みずがめ座は個性の違いを尊重します。むしろ、その違いが多様にあった方が世界がおもしろく感じるのです。

 

わたしはみずがめ座アセンダントだからそのキャラが自然で、土星もみずがめ座だからその個性で現実を生きた方が上手く行く、そう理解するに至ったのです。自分のエゴマインドの扱い方をアセンダントと土星の性質を理解することで覚えたのです。

 

それからは、自分のみずがめ座キャラを見つける度にうれしくなりました。アマノジャクなところや頑固なところを嫌われても自分だけは、そのキャラを愛するようになりました。

 

自分にとって「たった一人の味方」になれたとき、わたしは「ありのままの自分」であることが最強だと自信を持てるようになりました。心の中に自分の敵を置いておくことが不安や自己嫌悪の根源になると、気づいたからです。

 

いまでは、わたしの人生のブループリントであるホロスコープを設計したわたしの魂に畏敬の念を感じます。

円の中に11個の天体が置かれただけのホロスコープですが、「すべての物の中に奇跡を見つける視点」で眺めれば、わたしが高次元に意識変革するときの人生のヴィジョンを見せてくれます。

 

次回は「エリクソンの癒しのストーリー」の解説を予定しています。

 

わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみをホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題にセルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。

 

詳しくはこちら をご覧ください。

 

新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。