こんにちは、リブラです。今回は、ウエイン・ダイアー著「老子が教える実践道(タオ)の哲学」の解説です。
第51章「隠れた徳を尊ぶ」
「すべての生き物と生命の源をつなぐ、それが道(タオ)。タオから溢れ出たばかりの生命は、無邪気で自由で完全無欠。それに形を与えるのは、タオの徳。仕上げを施すのは、地上の世界。
だからこそ、万物はタオを敬い、その徳を尊ぶ。
「敬え」と言われたのではなく、「尊べ」と言われたのではなく、万物は、自ずとからタオを慕い敬う。
万物に生命を与えるのはタオ、それを育みやしなうのが徳。
徳が万物を守り、庇い、育て上げる。タオは生み出すが、所有しない。
与えるが求めない。育むが、治めない。それが、隠れた徳の力。
ー老子が教えるタオの哲学ー
あなたの中にはタオの徳の力が隠れています。あなたの存在を生み出したのも同じ徳の力です。守られ庇われ育てられているという実感は、物を所有することからは生まれません。あなたの細胞一つ一つに隠れている徳の力を絶えず感じていれば、自ずと湧いてくる感覚です。
あなたの呼吸や動き一つ一つは、命じられたものではありません。それでも、それらは、あなたの身体に宿り、生命そのものとなっている徳の力に敬意を払っています。
「すべての創造物は、その拠りどころとなるタオと徳にひたすら従う。君も、それに倣いたまえ。所有者ではなく親になれ。主人ではなく付添人になれ。服従は求めず、相手の益に心を配りたまえ。それが、生きることの中核にあるものだから」
ーウイッター・ビナーによる老子道徳経第51章の訳ー
今日のタオ
「やめる」ことに意識を向けてみましょう。
「考える」ことをやめてみる
→本来何でも包み込む寛さがあることがわかります。
「先入観や意見を持つ」ことをやめてみる
→何でも在りのままで感じ取ることができます。
「他者に指示や命令を出す」ことをやめてみる
→人が本来、どれほど能力があるものかわかるでしょう。
「わたしがやめたら、どうなるだろう?」という疑問に、ゆっくり答えを見つけてください。
それを続けるうちに、自分の中から、ますます隠れた善の力が現れてきて、自分自身を眺める目も変わってくるはずです。とダイアー博士は言っています。
「タオは生み出すが、所有しない。与えるが求めない。育むが、治めない。それが、隠れた徳の力」と老子が説くのは、わたしたちがいかに「隠れた徳(タオ)の力」を尊ばない社会を作ってきたかの表れでもあります。
所有するために生み、求めたいから与え、治めるために育む社会に生きていると、「生み出すが、所有しない。与えるが求めない。育むが、治めない。隠れた徳(タオ)の力」では生き残れないとエゴが囁くかもしれません。
でも、そう考えるのは、悲しいことにわたしたち人類だけなのです。自然界を所有し、利用することで人類は生き残ってきたけれど、それを豊かに与え続けた自然界を激しく破壊してきました。その結果、わたしたちは自分で自分の首を絞めるような状態に地球環境を陥らせました。自分が育むまれた大地や海や空を元に戻せないほど汚して壊す使い方をするのは、地球上でわたしたち人間だけなのです。
タオの営みは自然界を眺めれば、神羅万象・万物の中に見て取れます。タオの「隠れた徳の力」なしにわたしたちは1日だって生きて行けないのですが、それが尊いことと認めず、抗うのがわたしたち人間です。
「隠れた徳(タオ)の力」を尊べばどんなにわたしたちすべてが大きな愛で包まれ育まれているかわかるのに、わたしたちは自分たちで努力し作り上げたやり方でしか生き延びられないと誤解しているのです。
昔読んだ人類学者のカスタネダの本の中の、ヤキ族の呪術師ドン・ファンとカスタネダが荒野に野宿する場面を、この老子の言葉を読んでいて思い出しました。
水も食料も持たず、すべて現地調達で荒野を渡るとき、ドン・ファンはカスタネダに薪を集め、ウズラを捕まえることを指示します。カスタネダはたくさんの薪を使って美味しくウズラを蒸し焼きにしようとしますが、ドンファンは最低限の薪しか使うことを許しません。たくさん転がっている薪をなぜ制限して使わなければいけないのか、解せないままカスタネダはドンファンに従います。
その理由を告げられるのは、真夜中、闇の中で獣に襲われそうになったときでした。生きるのに必要な最低限だけを大地からいただき、あらゆる命や資源を尊んで使っているから守られる。大丈夫だ安心せよ、とドンファンが言ったのでした。
自然界を所有せず、謙虚にそこにマナーを守るお客として入り、必要な分だけでありがたく受けとる。そういう姿勢で臨めば、自然界もまた命を危うくすることから守ってくれるというのです。
薪もウズラも荒野の獣も、自然界の一部として全体の総意の現れとして、カスタネダの前にあるというのです。
「生み出すが、所有しない。与えるが求めない。育むが、治めない。隠れた徳(タオ)の力」を尊び倣うことこそ、神羅万象・番・万物と共存共栄していく方法なのだと思います。
カスタネダが命拾いして学んだ「生み出すが所有しない隠れた徳の力」を、わたしたちも老子の教えによって今、この瞬間から身につけることが可能です。
今までずっと所有する生き方をしてきたから無理と諦めないでください。「大いなる源」の愛は「選択の自由」ですから、過去に何を選択してきたとしても許しを与えてくれます。
今この瞬間から考え方を変えるだけで、「生み出すが所有しない隠れた徳の力」の働く世界線に乗り換え可能です。「生み出すが所有しない隠れた徳の力」で生きる人が増えれば、集合意識もひっくり返り、タオの教えが常識になる日も来るのかもしれません。「ありのままの自分」でみんなが生きられたら、この世は地上の天国になり、自然界も人間も優しくなっていくのでしょう。
次回も「もしここが天国だったら」の解説を予定しています。
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