こんにちは、リブラです。

2月4日に82才で急逝したわたしの母の人生を振り返り星読みで検証する前回のお話の続きです。

 

わたしの母は1939年2月27日に埼玉県深谷市で5人きょうだいの3番目に生まれ、戦後の復興時代に育ちました。農家に生まれたので飢える苦しみはありませんでしたが、高度成長時代に突入していく世の流れで東京に住みたい気持ちが常にあり、東京で大工をしていた父との縁談にはすぐに乗ったと言っていました。

 

母は勉強が苦手だったので高校へ進学はせず、洋裁学校に通って親戚の仕立て屋を手伝っていました。おひつじ座土星持ちなのですが、恐れを知らないおひつじ座土星のパワーで自らの才覚を東京で試してみようとは思わなかったようです。

 

母のやぎ座22度の金星(女性性、喜び)はおひつじ座15度の土星(現実性、観念)と90度で葛藤するので、自分の現実のチャレンジに力を注ぐよりも、恋愛や結婚の安定性をとったのでしょう。父も同い年でおひつじ座土星持ちで太陽も水星もおひつじ座なので、父と結婚したこと自体が大きなチャレンジだったかもしれませんが。

 

母の場合、太陽と水星と木星がうお座で冥王星とキローンがかに座で水星座が5個もあるから、人間関係で感情のダイナミクスを味わいたい人生だったのかもしれません。父との縁談も、母の不倫の恋をなんとか諦めさせたい祖父が根回したものでした。

 

母は地元の妻子ある男性と恋愛中で、駆け落ち寸前だったのです。父も当時学歴のことで婚約者の親に反対されて破談になった直後だったので、中卒の女だったら誰でもいいという状態でした。

 

母のやぎ座22度の金星は、かに座29度の冥王星(潜在能力)と180度で葛藤するので、自分の好きなことで潜在能力を発揮して具現化させるよりも、潜在的な感情を秘められた恋愛によって表現するかに座冥王星側に情熱が向かっていたのでしょう。

 

でも、両親も祝福してくれて東京にも住めるという条件が揃ったとき、あっさり不倫の恋を諦め、父との結婚を選んだのはやぎ座もかに座も求める保守的な安定感で二極の対立する天体の一致点を見つけたからなのでしょう。

 

娘のわたしがどうして母の結婚する前の話を知っているのかと言えば、母が大量のラブレターや昔の恋人の写真を取って置いていたからです。わたしが中学生の頃、母のタンスの箱の中にたくさんの恋文や写真(「マディソン郡の橋」で母の秘密の日記を読む子どもたちみたい!)を見つけ、聞いてみたら母が楽しそうに恋バナを語ってくれたのです。

 

家の中では、いつもわたしがセラピスト役で母がクライエント役という関係を母が望むので、わたしは1度も母に悩み事を相談したことはないのですが、恋愛の悩みだったら案外共感が通ったのかもしれません。

 

うお座に太陽も水星も木星もあるので、母は現実的な話よりも恋愛やドラマやファンタジーの方に強く心を惹かれたようです。晩年は花壇の花の写真を山ほど撮っていました。亡くなる数日前には、菜の花や梅が咲いたのが嬉しくてベランダで眺めようとして転倒し、おでこに痣を作ってしまいました。

 

この痣があったせいか、死因が特定できなかったからか、母は司法解剖を受けることになり、その解剖が終わったときに家族はようやく母と対面しました。亡くなる日も父と一緒に外出し、戻って一休みするとおしるこが食べたい!と父にリクエストして作ってもらい、満足して一眠りしているうちに息を引き取ったのです。

 

だから死に顔もとても安らかで、眠っているようでした。皮膚もとてもふっくらして弾力があったので、冷たくなかったらただ眠っているだけに見えたことでしょう。

 

母の安らかなその姿を見て、どんなに父が献身的に母の身の回りの世話をしていたのかを、わたしも二人の妹たちも弟も感じました。

 

みんなそれぞれのことで忙しく、精一杯で、しかも弟は長らく家族との連絡も断っていたので疎遠になっていました。でも、母の安らかな顔と傍でしょんぼりしている父の顔を見て、きょうだいで一緒に悲しみを分かち合うことができて幸せだと思いました。

バラバラだった心が一瞬でひとつにつながった感じでした。

 

葬儀の間きょうだいで子どもの頃の話をしていると、そこには母のトンデモ話がたくさん飛び出してきます。わたしのやけどのこと、幼い妹が生肉を食べて高熱を出してひきつけ起こしたときのこと、双子の弟とは手をつなぐ母が双子の妹が手を差し出すと「気持ち悪い!」と言ってはねのけたこと・・・。

 

どれもトラウマになる出来事なのですが、このときは泣き笑いしながら未熟な母のもとでよくもみんなまともに育ったよね!と笑い話に変わっていました。そこには絶えず許しのエネルギーが流れていました。

 

トラウマを開示しても暗くならず、共感が通い、許しで昇華されて、母への愛に変わっていく瞬間を分かち合えるのは、このきょうだいだからこそなのだとひしひしと感じました。

 

ゲリーが母のアカシックレコードを読んだときに、母の魂の波動と身体意識の波動に恐ろしくギャップがあることを指摘されました。それは、母のとても未熟な身体意識が過去の転生で何度も自殺をしていて、このままでは消えてしまうところを、母の波動の高い魂が救済を申し出た結果、天寿を全うすることだけを目的とした今生が設定されたというのです。

 

母は重度のうつ病でしたが、1度も自殺を試みることがなかったのは、天寿を全うすることが目的の人生だからなのかと、とても腑に落ちました。

 

トラウマの解放と許しのエネルギーに包まれたわたしたち家族には、お葬式の重々しい雰囲気はなく、時間を追うごとに不思議なほど軽やかになっていきました。

 

火葬場でお骨を骨壺に納めるときに、火葬業者がこの方ほんとうに82才の女性ですよね?と骨の太さや量の多さに驚いたときには、家族で爆笑してしまいました。混んでいた火葬場ではあちこちからすすり泣きが聞こえ、笑いの渦なっているのはわたしたち家族だけです。

 

骨粗鬆症で脊柱管狭窄症で手術もしていて、そのとき付けたボルトが数本入っていたので確かに母のお骨でした。しかし、そこにあるしっかりとした骨は、骨粗鬆症の名残りもありません。「わたしは骨の弱い老人ですから」という生前の母の弱弱しい雰囲気とはギャップがあり過ぎて、みんな笑ってしまったのです。

 

父は母の脊柱管狭窄症の手術の障害となっていた糖尿病を食事療法で治癒に向かわせ、高血圧も治り、骨粗鬆症も奇跡的に治してしまったのです。イワシやシラスを飽きないように毎日食材に混ぜて食べさせる工夫をしていたと言っていました。

 

晩年母は太り気味で転倒すると自分で起き上がれなくなるので、少し体重を減らした方がいいよと話していたのですが、その度に「お父さんが作ってくれる料理が美味しすぎるから、やせるの無理!」とあっさり断られました。

 

わたしが子ども時代は激しい夫婦げんかが日常茶飯事でしたが、母が脊柱管狭窄症になってからは父が家事のすべてを引き受け、母の身の回りの世話を愚痴も言わずにしてくれました。母はそれに子どものように甘えている感じでした。

 

父も母も同い年で1か月ぐらいしか違わない生まれなので、2人とも今年うお座木星回帰でおうし座天王星回帰です。

だから母は、このときを選んで肉体を離れたのかなと思いました。

 

うお座のワンネス意識で家族の心をひとつにして、不自由な老いた肉体に別れを告げることでおうし座天王星の変革をしたのでしょう。わたしも死ぬときは母のように、ふつうの日常から次の扉を開ける感じで、周囲の人々を笑わせて旅立ちたいなと思いました。

 

わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみをホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題にセルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。

 

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新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。