パスワーク(新装版)―自己のすべてを受け入れ統合された意識で生きる
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こんにちは、リブラです。今回は「パスワーク」の解説です。
「(悪の)力のあらわれ方は望ましくないけども、(悪の)あらわれの背後にあるエネルギーの流れ自体は望ましいものである」と認められるようになることが、善悪の二元性を超えるために必要です。
なぜなら、そのエネルギーは、生命を現実化して表現する「意識と創造性のエネルギー」を、あらゆる可能性を含んでいるからです。
目の前の最善なものは、最悪なるものの可能性をも含んでいるのです。
生命は絶えず流れ、動き、継続するプロセスなのですから、そのあらわれ方のあらゆる可能性をイメージできれば、二元性が創り出す決定的状態にとどまってしまうことはありません。
内面の悪を否定すれば、自己のエネルギーや創造力を不活発にし、停滞させてしまいます。
物質は「意識とエネルギー」が濃縮して出現したものです。
それがどんな具現化を起こすかについては、内在する意識の態度(意図)によります。
自己のうちの悪の体験を否定し、無視するならば、最善の体験も無視することになり、統合された状態にはなれません。
創造的エネルギーには、破壊的な要素も含まれています。
近所の小さな八百屋さんが、コロナウイルスの感染予防のため入店制限をするようになりました。
いままでは5分で済んだ買い物が、入店に並び会計に並ぶようになり、15分ぐらいかかるようになったので並んでいるお客さんも不満げです。
そんな気持ちを察してか、お店に「コロナ憎んで、人を憎まず」という標語がボール紙に書かれて立てかけられていました。
わたしたちの内面の「悪」に対する取り扱いもこれを同じかな、と思いました。
悪も善もわたしたちの意識の中から生まれます。自然界には悪も善もありません。
人間の価値観が創り出したものが「善と悪」なのです。
わたしたちが社会生活を営む必要性で、人工的に創り出されたものが「善と悪」なのです。
だから、その基準は不明瞭で悩ましいのです。
昔は悪とされていたことが現代では善になることは、人間社会ではよく起こります。
戦前だったら、子どもを預けて社会で活躍する母親は非難を浴びたかもしれませんが、いまだったら、家庭と社会の活動を両立できて偉いと褒め称えられるでしょう。
世の価値観が変われば、善悪の基準は簡単に覆ってしまいます。
ゼネレーションギャップを1番感じるのは、善悪の判断基準なのではないでしょうか。
人の善悪の基準は世の価値観に従うので、そこに便乗して裁くと多くの人々を簡単に納得させてしまう恐ろしさがあります。
エゴが内なる悪を裁くときも、同じテクニックを使って自分を納得させます。
だから、人間しかやらない「自己嫌悪」という現象が生まれるのです。
人間を簡単に納得させてしまう、集合意識を動かす「善悪の基準」は、まかり間違えば戦争さえ引き起こします。
相手側を「悪」とした瞬間から、その「悪」に対立すれば自動的に「善」の立場を手に入れて多くの人々の賛同を得られるからです。
宗教戦争は信じるものと反する考えはすべて「悪」と見なして、「善」なる人々の正義を焚付け戦いに向かわせるので、終わりがないのです。
善とか、悪とかで争っている人々を俯瞰視点で眺めていると、どっちもどっちの同レベルに映ります。
これを自然界にもある基準=「好きか、嫌いか」という言葉に変えてみれば、もっと平和的になるように思います。
「善か、悪か」だと世の価値観というパワフルな武器を振り回すことになりますが、「好きか、嫌い」ならば純粋に個人の価値観なので、簡単に自分も他者も許すことができます。
「あなたがそれを好きでも、わたしはそれが嫌い。それは、好みの問題だから、しかたないね。あなたはそれを好きでいいし、わたしはそれを嫌っていい」と許せば、それ以上争うこともなく、お互いの好みを尊重できる寛大な愛が通うことにも発展します。
内面の「悪」を憎む気持ちが外側に投影されると争いを生みます。
戦争がなくなることがないのは、人々の意識が「善悪の判断」を手放せない現れです。
内面で「悪」を憎む気持ちが出たときは、それを「悪」と言わず、「嫌い」と素直に言ってみましょう。
それは好みの問題だから、嫌ってOKとすると、憎しみのボルテージは下がります。
少なくとも自身の心から争いは消えるはずです。
こんなことを人類ひとりひとりが意識の中でするだけで、集合意識は「悪」を手放せるのです。
「悪」を憎んで排除して「善」にするのではなく、「悪」も元々は「善」と同じ意識エネルギーで最初の意図がゆがんでそれを投影した現象が望ましくない結果になっただけなのです。
「悪」の根源を辿っていくと最終的には、誰もが持つ意識エネルギーに辿り着きます。
これを認めれば、愛(怖れがない状態)の意図で意識エネルギーを放射しているかどうかのレッスンが、「善悪の判断の問題」に秘められていると気づくでしょう。
次回は「ガガーリンのホロスコープリーディング」、次々回は「自分を愛せなくなった人々へ」、その後「パスワーク」に続きます。
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