今日は「運」についての第三弾です。
人間には「運のある人」と「運のない人」の違いがあるのではなく「運を上手くつかめる人」と「運を上手くつかめない人」との違いがあるのです。
実は運は誰の下にも平等に巡ってきます。
そして、運を上手くつかむにはコツがあるのです。
そのコツを知って、運をつかみましょう
運のつかみ方は三段階あります。
第一段階目は「運をひらく」ことです。
先ず、自分自身をよく知ること。
そして自分が持っている「運の芽」を確認して、ひたすらその芽をひらいていくことです。
しかし、誰でもが自分の望む運を持って生まれてくるわけではありません。
そういう時は第二段階目に移ります。
それは元々持っていない運を自分の努力でつくることです。
目指した目標への運が欲しい時は、自分で「運をつくる」のです。
そして、最後の第三段階目は、よい運を持っている人やモノ、場所から「運をもらう」ことです。
運の芽がない、さりとて運をつかむための習慣づくりもできない・・・という人もいるでしょう。
しかし、決して人生を諦めてはいけません。
運を持っている人やモノ、場所からでもいい運をもらうことができるのです。
どの方法で運をつかむのかは、あなた次第ですが、いずれにせよすべてに共通していることは「ただ黙っているだけでは運はつかめない」ということです。
「運をもらう」
最後は第三段階目、運をもらった人の話です。
稀代の名選手で名監督でもあった野村克也さんは、妻の沙知代さんと波乱万丈の人生を歩みながら約40年間連れ添い「おしどり夫婦」として有名でした。
南海時代に遠征で東京に来ていた野村さんが訪れた飲食店のママさんの紹介で2人は出会いました。
交際当時はそれぞれ所帯を持っていましたが、大恋愛の末に結婚しました。
妻である沙知代さんの存在は球界では有名で、野村監督にハッパをかけ、球場に駆けつけて物申すこともありました。
現役を引退して、監督となった後も辛口のコメントで夫を鼓舞し続け、周囲から見れば「恐妻」と映ることが多々ありましたが、野村監督にとっては「なくてはならない存在」だったのです。
野村監督は、沙知代さんが亡くなった後に「奥さんとすれば、すごい頼りになる。どんな危険に直面しても、マイナス思考は絶対にない。『大丈夫よ』その一言で随分助かった」と振り返っています。
また、「サッチーは『悪妻』ではなかった。むしろ『ラッキーガール』だったと思っています。現役引退後、これからどうやって食っていこうかと思い悩んでいたら、『なんとかなるわよ』と。
「実際、私への講演の依頼が後を絶たなかった。喋るのは苦手だからしんどいと愚痴ると『ありがたいと思いなさいよ』と言って、どんどん講演を受けてしまうんだ。俺はこの女に殺されるかもしれないなと思ったけど、おかげで田園調布に家を持つことができました」とも言っています。
いまでこそID野球の始まりをつくった名将といわれる野村監督ですが、選手時代にはどんなに活躍しても、注目されず悔しい思いをしたそうです。
それは同じ時期にONコンビが活躍し注目を浴びていたからです。
野村監督が「王・長嶋はヒマワリ。俺はひっそりと咲く月見草だ」と華々しいONと光の当たらない自身を比喩した語りぐさは有名です。
どんなに世間が悪妻と言おうが、野村監督にとっては妻の沙知代さんはラッキーガール。
運をくれる人だったのです。
運をもらう対象は「人」だけとは限りません。
「物」や「場所」からも運はもらえます。
あなたにとって縁起のいい物、パワーを貰える場所からも、運をもらえるのです。
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