こんにちは。
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『福岡伸一、西田哲学を読む』を読み終えました。
福岡ハカセの本を読むと、
モヤモヤが残り、
気になって、また読んでいたのですが、
この本で、ほんの少しスッキリしてしまいました。
『いくら細胞を分節したり、観察しても、わからない。』
『人間が細胞に手を加えても、元に戻ってしまうかもしれない』
というようなことを福岡ハカセのの本に書かれていて、
そういった細胞の測り知れないところがモヤモヤの元で、
この本には、モヤモヤに対する明快な答えがなぜないのか
書かれていたように思ったからです。
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しかも、西田幾太郎という明治生まれの哲学者が
すでに、1946年には、その理由についての手がかりを説いていて
その西田哲学と、福岡ハカセの『動的平衡』(生物学)という
異なる学問を交えながら、考察を重ねることで
生命への核心を読み解いていく感じが、
ミステリーの謎解きのようでした。
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前回にもピュシスとロゴスを少し書きましたが、
矛盾も含めて思考するピュシス(physis:実在、西田哲学の根幹)が
因果関係・合理的に矛盾がない範囲で思考するロゴス(logos:論理)と、
どのように思考する際に異なってくるかを明らかにしていく中で、
例えとして、『年輪』が挙げられていました。
『環境が年輪を包んでいると同時に
年輪が環境を包んでいる』
(年輪にその年輪ができた当時の環境を内包している。
*環境に時間も含まれることも重要な要素でした。)
『作られながら作っている』『包まれつつ包む』
(この表現方法を、『逆限定』、『絶対矛盾的自己同一』と西田哲学で読んでいます)
ことが、
環境と年輪の両者に同時に起こっている、、、、と
理解できるようになっていきました。
途中、
生態学者:今西錦司『棲み分け論』についても書かれていました。
弱肉強食・競争から成り立つピラミッド型の自然形成とは異なり、
環境に随時、適応しながら自然形成がなされていくという考えが書かれていました。
私たちは棲み分け論的生き方をしているのに、それに気がつかず、
競争社会に身を投じてその中にいないとダメだと
思い込んでいるのかな?と思いました。
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初めは、言葉遊びや言葉のトリックのように思って読んでいましたが、
読み進めるうち、
視点を外側からと、内側(対象物自体)からと
いつも両方を持つという意識を持つことで、
その対象自体の本質・実体・実在そのものへ
理解を深めていけるようになり、
そのことが真の『知る・分かる』と
いうことなんだと思うようになりました。
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終わりに、動的平衡をピュシスの視点から説く試みがあり、
生命の誕生についての仮説というのか思索も書かれていました。
想像しながら読んでいると、とてもドラマチックでした。
今まで、福岡ハカセはロマンチストだなあと思っていましたが、
ピュシス自体、ロマンチックでドラマチックなものなのかもしれないと思いました。
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西田哲学の継承者:池田博士が
『ベルグソンの弧』に出てくる『手』となって、
*ベルグソンの弧:動的平衡の図に出てきます
化学反応が起きて、
この本の誕生して、、、
それは、まるで
生命の誕生についてのところと掛けられているようで、、、
何かが生まれてくるときはこのようなものなのかも、、、と思ったり、
読み取り方もたくさんありそうです。
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ピュシスという考え方をAI・人工知能が学ぶようになったら、
どうなるんだろう?
人間と同じように、迷ったり、イレギュラーなことをするようになるだろうか?
そこからまた進化するだろうか?
ちょっと楽しみになりました。
前回書いていた琵琶湖が生物かどうかについては、
最後まで、読んでみましたが、以降書かれていませんでした。
・・・生命科学の進歩とともに、このモヤモヤは楽しみに、、・・・
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