アメリカ国籍をもつ記者が北朝鮮に拘束されている。この様な場合、民主主義の国と全体主義の国とでは対応がかなり異なる。民主主義の国では、政治は個々人の権利を守るために行うものであるのに対して、全体主義の国では個々人は全体のために犠牲になることを強いられる。

 自国民が他国で拘束された場合、民主主義の国では絶対に見殺しにはできない。例え、北朝鮮に密入国して取材を行っていたとしても、助けようとするのが民主主義だ。逆に、全体主義では、北朝鮮問題で大変な時になんてことをしてくれたんだ。自決しろと言うだろう。

 問題は民主主義国のアメリカ人記者が全体主義国の北朝鮮に拘束されたことだ。北朝鮮にとっては拘束された記者でさえ北朝鮮のために犠牲になるべきだと考えている。アメリカは記者拘束問題を切り離して核開発問題に対処しようとするが、北朝鮮は拘束された記者を人質の様に使う。記者拘束問題と核問題、どのように折り合いをつけていくか頭の痛い問題だろう。

 民主主義の原則と言えば、「人民の、人民による、人民のための政治」というリンカーンの言葉がある。人民による政治でなければ、人民のための政治はできない。政治を行うものは人民の代表じゃなければならない。

 日本の政治屋は、世襲や、姻戚関係を使い、今や貴族と化そうとしている。例えば、麻生総理の妻は鈴木善幸元総理の娘。麻生総理の妹は皇族に嫁いでいる。吉田茂元総理の孫であることは有名だが、吉田茂は大久保利通の孫と結婚している。このように姻戚関係でつながっている政治屋はたくさんいるのだ。貴族階級の政治屋と一般庶民が分断されれば、政治屋は一般庶民に落ちる心配がないから、人権無視の政策を行っても怖くない。

 民主主義を守ろうとするなら、政党に押し付けられた候補者を選ぶのではなく、その地域の住民が代表者を国会に送らなければならない。