主権というものは、統治権のおおもとの権利だ。近代以前は神によって君主に与えられた権利であるとされた。君主は、人を裁いたり、税金を取ったり自由にできた。しかし、君主が直接判断を下しながら政治を行うのも大変だし、君主に実務能力が無ければ大変なことになる。君主の気持ち次第で政治がコロコロ変わるのもよくない。そこで、君主が「この様に政治を行え」と示すものが憲法だ。(立憲君主制)
憲法は人類が発明した偉大なるものの一つと言える。憲法と云うものがあれば、複数の主権者がいても一つの形にまとめることができる。ヨーロッパでは、イエスキリストの使徒である教皇から国王に統治権が与えられていたと考えられていたが、宗教改革でプロテスタントが生まれると、神は一人一人に平等であると云う考え方になった。すると、主権は教皇や王にあるのではなく、国民一人一人に神から与えられたと考えるようになる。国民一人一人の主権を憲法という形にまとめて、為政者が政治を行う。したがって、国民が主権を行使するのは憲法制定と憲法改正だけである。
日本では、戦争に負けて、天皇が主権を行使して大日本帝国憲法の改定として、日本国憲法を作った。その日本国憲法には、主権者は国民だと書かれている。だが、日本では国民は一度も主権を行使できないでいる。最も大きな原因は、社民党の前身である日本社会党にある。社民党は護憲という心地よい言葉で国民の主権行使を反対してきた。社民党による国民主権の侵害である。一方、日本国憲法が変わっていないかというとそうではない。為政者が憲法に書かれている単語の意味を勝手に変える解釈改憲が長い間行われてきた。憲法の言葉を議員や役人が勝手に解釈するなら、彼らに有利な選挙制度や役人統治が出来上がるだろう。その時、主権を失っている国民は何もできない。
憲法は人類が発明した偉大なるものの一つと言える。憲法と云うものがあれば、複数の主権者がいても一つの形にまとめることができる。ヨーロッパでは、イエスキリストの使徒である教皇から国王に統治権が与えられていたと考えられていたが、宗教改革でプロテスタントが生まれると、神は一人一人に平等であると云う考え方になった。すると、主権は教皇や王にあるのではなく、国民一人一人に神から与えられたと考えるようになる。国民一人一人の主権を憲法という形にまとめて、為政者が政治を行う。したがって、国民が主権を行使するのは憲法制定と憲法改正だけである。
日本では、戦争に負けて、天皇が主権を行使して大日本帝国憲法の改定として、日本国憲法を作った。その日本国憲法には、主権者は国民だと書かれている。だが、日本では国民は一度も主権を行使できないでいる。最も大きな原因は、社民党の前身である日本社会党にある。社民党は護憲という心地よい言葉で国民の主権行使を反対してきた。社民党による国民主権の侵害である。一方、日本国憲法が変わっていないかというとそうではない。為政者が憲法に書かれている単語の意味を勝手に変える解釈改憲が長い間行われてきた。憲法の言葉を議員や役人が勝手に解釈するなら、彼らに有利な選挙制度や役人統治が出来上がるだろう。その時、主権を失っている国民は何もできない。