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「イカロスの夢 日本初飛行その日」 ~黒木さんから

クレタ島ミノス王の為に巨大迷宮を造った発明家ダイダロスは、
後にその王の逆鱗に触れて幽閉されてしまい、
息子の幼いイカロスを連れて鳥のように羽を作って空から脱出することにした。
父は、いざ翔ぶにあたって、低く飛ぶと海のしぶきで墜落するし、
高く飛びすぎると太陽の熱で翼が溶けるから、中ほどを飛ぶようにと注意した。
が、神様のように鳥のように天空を自由自在に翔び始めたイカロスは、
嬉しさのあまり有頂天になり、ついにはより高く、
ぐんぐんと未知の夢の世界を目がけて更に上昇を続けたのである。
そして炎々と燃えさかる太陽の灼熱で翼は溶け始め、イカロスは真っ逆さまに墜落して消えていった。
ギリシャ神話であるが、古代から空を飛ぶのは人類の夢だった。

 今から100年少々前、その年に生まれた人が今日でもまだこの世に生きている年数であるが、
1903年の12月17日の朝のことである。
その頃はエジソンが映画・蓄音機・電球など数々の発明で大活躍し、
この同年には奇しくもヘンリー・フォードが自動車会社を興し、
日本では日比谷公園が開園、日本初の市電が大阪で走り始め、京都では日本初の営業バスが走り、
第1回の早慶戦が始まり、夏目漱石が文部省留学生としての英国留学から帰国。
翌1904年には日露戦争が始まり、タイタニック号沈没はその後と続く明治時代後期である。
自転車屋を営んでいたオービルとウィルバーのライト兄弟は、
世界で初めてエンジン動力付の飛行機を造って空を飛んだ。
ライト兄弟の自転車屋はオハイオ州デイトンにあり、
今でもその町はライト・パターソン空軍基地として重要な地位にあり、空軍工科大学や国立空軍博物館がある。
私の高校留学時代は隣町だったので、里親の大学教授夫妻によく見学に連れて行ってもらったものだ。
ノースカロライナ州キティホークの海岸で人類初の飛翔に成功したフライヤー号は12秒間、36メートルを宙に舞った。
飛行機の歴史の始まりであるが、それからほんのわずか66年後の1969年2月には
400トンのB747ジャンボ機が1万メートル上空を初飛行し、
その同じ年の7月には人類が宇宙にまで飛び出して、ついにアポロ11は月面に降り立っている。
今日では853人が乗る総二階建て巨人機がこの時間でも世界中の空でいつも飛んでいる時代になった。
36メートルの初飛行記録は、ジャンボ機体の長さ72メートルの半分でしかない。

ライト兄弟の名前は輝かしく歴史に刻まれているが、
彼らの前やその後にと、どれほどの冒険家がイカロスの夢とともに命を落としたことであろうか。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)は、ヘリコプターの発想をスケッチに残している。
その円錐形のヘリコプター原理は実現には至らなかったが、
ローマ空港には彼の大きな銅像が立ち、手の平にはその模型が乗っている。
全日空の社章は、そのヘリ模型から来ている。
航空券には、JALは“JL”と記入し、ANAは“AN”ではなく、“NH”と書く。
“AN”はアンセットオーストラリア航空になる。
NHは、日本ヘリコプターの略、全日空は元々ヘリコプター会社から始まっている。
1804年、イギリスのジョージ・ケイリー卿が凧のようなグライダーを考え、
この固定翼の考えは飛行機開発の方向を大転換する重要なものとなり、
1890年代にはドイツのオットー・リリエンタールがグライダーをつくり、墜落して死亡するまでに2500回以上飛行した。
エッフェル塔から風呂敷みたいな翼を背負って飛び降りて墜落死する映像なども多く残っているが、
イカロスの夢は人類の飽くなき滑稽か悲壮なのか、今でも絶えず誘惑し続けている。
現在では、航空機は乗り物の中では最も安全と言われ、
航空機事故に遭う確率は飛行100万回につき一回、
毎日飛行機に乗って一往復しても1400年に一度の計算になる。
恐怖心と悲惨さや珍しさが重なっているから飛行機は危険だと記憶に残りやすいだけのことである。
丸2年半分の時間を雲の上で過ごした計算になる私のフライト経験からも、
ヤバイといった生死にかかわるような経験は一度も無い。

ライト兄弟は想像すらしなかっただろうが、航空機の発明で世界戦争の形態は大きく変り、
またその開発競争の“お陰で”、飛躍的に短時間で進化した。ボーイング、ロッキード、ダグラス、グラマン・・・
すべてが巨大軍需基幹産業の会社である。
分かりやすく言えば、地球上の至るところで戦争状態が続いているからこそ
航空や宇宙産業が驚異的発展を遂げてきたと言える。
いや、飛行機ばかりではなく、原子力、宇宙衛星、電子産業、コンピューターやインターネットの進歩など、
あらゆる科学の発展のすべてが戦争の為の技術革新開発、その賜物なのである。
人類の進歩とか平和利用とか言っているが、あくまでも軍需利用目的に開発されてきた兵器が
派生的に利用されているのでしかない。
我々は勝手に使わせてもらっているが、カーナビは米軍が使用するために衛星を飛ばしているのだ。
生き残るため勝つ為には、世界をリードする軍産複合体の研究開発はその国の死活問題、
世の中が平和になりすぎて戦争がなくなれば、文明の進歩はすぐに停滞するとの極論も成り立つ。

「日野熊蔵初飛行100周年記念事業」で、JALに協賛協力などをお願いできないか打診していただけませんか?
そんな内容の手紙が私宛に届いた。
差出人は、私の故郷、熊本県人吉市の松本晉一さんという方で、熊本産業遺産研究会とあった。
面識の無い方である。
日野熊蔵? 初めて聞いた人物だが、何やら明治時代の軍人で人吉出身、
日本で始めて飛行した人だと書いてある。
ライト兄弟だったら誰でも知っているが、ヒノ・クマゾウ──まったくピンとも来なかった。
それに、生まれ育った故郷でも、野球界のドンと呼ばれる巨人軍の川上哲治、
コメディアンのウッチャンこと内村光良さんもなどの先輩後輩は知っているものの、
一度も耳にしたことのない名前だった。
私が母校の人吉高校創立記念日に、かつて2度も講演させてもらったのも、
川上さんだと古すぎるし、うっちゃんだと芸能界だしと言うことで、何故か私が選ばれた経緯があった。
そんな人がいたのかもしれないが、世間ではマイナーな地元出身者の一人なのだろうかと思ったのが
正直な第一印象であった。
それにタイミングが悪かった。
おりしも、誰も想像すらしなかったJAL倒産劇の真っ只中で、
社内役員に打診するどころではない大騒ぎと重なっていた。

飛行時間2万時間、30年間の国際線乗務後、飛行機を降りて教育研修会社の仕事をしている私に、
しばらくしてから今度は社内から連絡が来た。
あなたの出身地の人吉市長も上京しての式典が代々木公園で行われるので、参加するように・・・。
なんだ、なんだ!?であった。
年末の初冬とは言え、代々木公園の森は、朝から小春日和で、キラキラと清々しい朝日に
美しく黄金に輝くイチョウの葉っぱが舞っていた。
鬱蒼とした森の広大な公園の中に、式典会場となる航空記念広場を探すのは難儀した。
遠くに紅白の天幕が目に入ってようやくたどり着いた。
国交省航空局長、陸空海自衛隊の司令官、渋谷区長などそうそうたるお偉いさんも来ており、
私は田中信孝人吉市長に挨拶したり、航空機の権威である東大大学院教授の鈴木真二博士と話しながら、
ことの成り行きを初めて聞いたのである。
 
日本がここの代々木公園で初飛行に成功したのが、その式典当日のちょうど100年前、
1910年12月19日だったとか。ライト兄弟が1903年だから、その7年後である。
その歴史的な飛行士は、人吉出身の日野熊蔵陸軍大尉。
ドイツで操縦を学び購入してきたグラーデ機(単葉機)で飛んだとのこと。
グラーデ機の重量330kg・幅10.5m・全長7.5m・全高2m・空冷4気筒24馬力・プロペラ木製1.8m・・・一人乗り。
次に同じ場所で飛んだのが、フランスから購入してきたアンリ・ファルマン機(複葉機)操縦の
徳川将軍家系の徳川好敏大尉。
日野大尉の長男、日野虎雄さん99歳、弟熊雄!さんも来場していて、車椅子に座ったままで挨拶が始まった。
徳川大尉の長男氏も挨拶。
聞いた話では、第一歩の熊蔵の飛距離は高さ1m、50万人もの見学者が集まった中での目測では約30m、
大観衆は少しでも地を離れると手を叩いたり、万歳を叫んだりして、
なんだか気の毒になった、と新聞記者が書いたとか。
熊蔵はそれを初飛行とは自ら認めず、飛行とは上空で操縦桿で自由に操れる状況であって、
あれは“ジャンプと言う!”と言ったそうである。
熊本の英学校から陸軍士官学校へ進んだ好奇心旺盛で研究熱心だった熊蔵は1904年、
日野式拳銃を発明して日米両国の特許を取得するなど、既に当時から異才を放っていた。
ひたすら鳥のように空を飛びたいと熱望し、なぜ飛べないのかではなく、どうすれば飛べるのかのみをいつも考えていた。
ただあまりにも発明に凝り性だったせいで左遷されたり貧困に陥ったりの生涯を送り、
昭和21年68歳で死去、なんと死亡理由は餓死だったそうである。

 ライト兄弟初飛行直後の1906年生まれで、ホンダ創業者の本田宗一郎は、
10歳の時、自宅近くの浜松で開催された航空ショーを自転車をこいで天竜から見に行き、大興奮して帰った。
その後、バイクや自動車に熱中しながらも飛行機への夢を持ち続けた。
そして、ライト兄弟からちょうど100年目の2003年の同日に、
民間では世界初となる“自社製機体+自社製ジェットエンジンの組合せ”でホンダ・ジェット機の初飛行に成功。
7人乗りビジネスジェット機はわずか3日間で100件以上の受注に成功した。
世界を震撼させたゼロ戦を作った三菱重工は、92人乗りMRJの国産小型ジェット機を
いよいよ来年から世界の空に飛ばすことになる。
世界最新鋭機のB787の35%が日本製であるように、本来は日本の航空機製造技術は世界的に高かったが、
敗戦後にGHQ命令で製造と研究が禁止されていたのである。
日本の技術がこれからの未来の大空に活かされる可能性も高い。

SFの父であるJules Verneは言う。

『人が想像できることは、必ず実現できる!』 と。
そう、生きている限り、夢は叶えるためにある。
夢を抱いている人と一緒にいると、こちらまでワクワク・ドキドキしてくる 
この人と一緒にいたいと思ってもらうには、夢を語ること──。

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