成「幸」学 人生の「正面教師」たち/黒木 安馬
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黒木さんから


明日死ぬかのように生きよ! 永遠に生きるかのように学べ!

人生は、自己責任。
毎朝が新しい自分の誕生日、
自分と握手のできる新鮮な日々をお過ごしください (*^_^*)v
この世に生まれるまで母親の胎内に「十月十日」⇒「朝」の字になります。
子曰 朝聞道 夕死可矣 (朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり)
⇒今の自分と握手が出来る、いつ死んでも構わない充実人生を日々歩め!
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Carpe-Diem 

“薔薇は摘めるときに、つぼみのうちに摘め。
時間は飛ぶように去ってしまう。
今日あなたに微笑んでいる花は、
明日になれば朽ち果てる---”

「Carpe Diem」(カルペ・ディエム)と言うラテン語がある。
Carpeとは、花を摘むこと。
Carpetの語源にもなっている。
Diemとは英語で言うDayに近く、一日あたりの意味である。

カルペ・ディエムとは、「一日の花は今日のうちに摘め」。
一日一日を人生の花畑と見立てて、それを着実に摘んでいく。

転じて「今、この瞬間を生きる」
「今が、自分の全て」となり、
和風で言えば二度と会うことが無いかも知れないからこそ、
今を大事に、
“おもてなし”をする心を禅で言うところの「一期一会」であろうか。
 
辞書で調べてみると、
「seize the day ,enjoy the moment」
(一日を差し押さえろ、この瞬間を楽しめ!)と脚注があり、
「once-in-a-lifetime opportunity」
(人生たった一度の機会)とある。
他の英語で言えば「now here」(今あるのみ)もある。

明智光秀が主君の織田信長を攻め滅ぼした「本能寺の変」でも、
明智は決断をする時に「時は今なり」と決断した。
何ごとも、chanceは現在にしかありえないのである。

chanceの語源は、
ラテン語 cadere 「落ちる, 起こる」から来ている。
落ちるも、起こるも、眼の前を通り過ぎる一瞬の出来事でしかない。

親鸞の言う
「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」
に通じる。

孔子、のたまわく
「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
人生は長さではない。
一生で何かを成し遂げるには短すぎるし、
何もしないには長すぎる。

映画『風とともに去りぬ』で、最後のセリフに出てくる
「明日は明日の風が吹く(Tomorrow is another day)」は
どん底から這い上がる勇気と希望をもたらしてくれるが、
昨今の「明日があるさ」などと若者が歌っているのは、
未来に希望を抱いているようでいて、
実は現実逃避にしか聞こえない
もの悲しさが彼らの背中に垣間見えることもある。

大前研一氏いわく。
「そのうちに──というのは人生の禁句。
やりたいことがあるなら先延ばししてはいけない。
やりたい時が、すべき時。
自分の人生を想うように活きて、
死ぬ瞬間に自分の人生は面白かった、
心から満足していると思えること。
失敗は多かったけれど、
自分で決めたことだと最後に言えるように活きたい」
とは、さすが世界的に評価の高い氏の言葉である。
 
大前氏は海外講演も含めた超多忙の日程の間を縫って、
バイクで国内外の荒々しい山中や砂漠を駆け巡るライダーでもある。
私と一緒に接客調査などの仕事をしてもらっている
大前氏の実姉である大前伶子女史に誘われて、
氏が借り切った東京オペラシティー会場での還暦コンサートに参加したことがあったが、
なんと彼は原子力の学者でありながら、
本当はクラリネット奏者になりたかったと言うほどのプロ演奏家だったのである。
自宅にはコンサート会場まであつらえてあるほどの懲りようである。
留学時代に知り合ったと言うアメリカ人の奥さん、ジニーさんは着物姿で登場、
これまた純和風の“篠笛”奏者。
二人そろっての演奏会は、それは圧巻であった。

「そのうち」と、「いつか」と、「幽霊」は出たためしがない。
要するに、
あなたは、今の自分自身と握手ができるかどうか?
なのである。

タイガー・ウッズが、私の乗務する飛行機に乗ってきた。
他の路線での放映用videoを、私の独断で、機内放映した。
他のお客様も、彼が乗っているのは百も承知だから、
特別の機転を利かせたサービスである。

タイーガー・ウッズも早速ヘッドフォンを取り出して、
自分のプレイに見入った。
私は、スクリーンではなく、彼を背後から観察していた。

彼のプレイを観ていると、
必ずカップを越すような強い勢いのパットで打っている。

私は彼にそれとなく直接聞いてみた。
彼は答えた。

「外すと怪我も大きいが、
カップの手前で止まるような、
届かないボールは絶対に入ることはありえない」

けだし、名言である。

目的を超えるような勢いで活きていかなければ、
絶対にそこに到達することは無い。

棒ほど願えば、針ほど叶う。
どうせという消極思考で、
最初から針ぐらいの目標設定しかしないから、
最大に届いても針以上のものにはならないが、
棒ほど大きく挑んでみれば、その棒の半分しか届かなくても、
針の何十倍も到達していることになる。

メダカぐらいの人生でいいや、と考えるなら
一生の舞台は金魚鉢の大きさでも十分だろうが、
鯉ぐらいの人生をやりたいなら池になるだろうし、
せいぜい一回こっきっりの人生なのだったら、
鯨みたいに壮大に生きてみたと思ったら、
もう、太平洋があなたのステージになるしかない。

大きな夢を持って、
でっかくハチメチャに振幅を大きく活きるには、
容器やキャンバスを大きく持っていった方が面白いに越したことはない。
 
思い切ってやってみれば分かることだが、
予想するほどに心配事は、現実には起こらないものなのだ。

大風呂敷を広げれば、
張子の虎で終わって笑われないように余計に努力をすることになるから、
ますます波乱万丈で人生が面白くなってくる。

百聞不如一見
百見不如一考
百考不如一行

百聞は一見にしかず、百見は一考にしかず。
百考は一試にしかず、
知識の差は小なり、行動の差は大なり!

どんなことが起きても、「ヤダナ~」でなく、
「面白い!」と思う自分の人生に対する前向きさが大いに得をする。
ましてや人生は失敗してもナンボのモンや。

機内で会ったナイキの創業者フィル・ナイトはこう言う、
「人生で最後の一回だけ成功すればいい。
それまでトライし続ける過程が重要だ」と。

世界を俯瞰してみると判るが、
わが国のどのマスコミも昨今の不況を喧伝しているが、
それの根本は今日の日本人の脆弱な自信喪失という心の不況にある。
他国の理不尽で執拗な干渉に翻弄されたままで、
祖国民に自虐史観をこれでもかとすり込む一部の偏向した新聞の姿勢や
反権力組合的な主観の押し付けが大きな原因であろうが、
日本人はまれに見る総ての面で優秀な民族である──と、
私は経験的に心底から確信している。

地球46億年の歴史の中で、
誕生から400万年もかけて増え続けた人類。
今から十年前の世界人口は50億人。
が、それからのわずか10年間で19億人も増えて、
今では69億人になっているという恐ろしい人口爆発が起きている。

その中で、後にも先にも、たった一回こっきりの自分だけしかいない
この人生をどのように悔いなく活きて行くのか。
一日の華を摘み取る楽しみを先延ばしにしていると、
人生の上り坂、下り坂の次に、あと一つの坂である、
『マサカ』と言う突然の出来事ロジー、
あなたの終焉の坂が待っているのである。

神様はこう言われる──
「人生、お一人さま一回限りとさせていただいております!」と。

生れ落ちた瞬間から、
間違いなくあなたは棺おけに向かって今もカウントダウンをしている。
それも地球の速度から計算すると、
時速1670kmで我々の誰もが例外なく、
カンオケに向かっているのである。

明日になったら桜見物に出かけようと思っていても、
ひょっとしたら今夜にでも嵐が来て
花は散ってしまうかもしれないのである。

花に嵐の例えもあるぞ──のとおり、
『今日やらないことは、十年経っても出来ない!』。
まさに、Carpe Diemとは、そのことを言う。

人生はダンス、
たった一度のダンス、
ラスト・ダンス・・・

“明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ!”


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