きくたんさんから
『無常の虎』と仏教ではいいます。
お釈迦様が『無常』を虎に喩えられているからです。
【諸行無常】といって、
『すべての物は無常である』
とお釈迦様は仰います。
私が今使っているパソコンも
この机も、部屋も、家も
この日本列島も
すべては変わり続ける『無常のもの』です。
大きく変わるか、少しづつ変わるかの違いはありますが、
変わらないものは世の中にはありません
その中でも最大の無常は【自分の死】です。
地震などの天変地異、
あるいは肉身の死も
自分の環境、人生がガラッと大きく変わりますから、
大きな無常ではありますが、
何よりも大きな無常は
【わが身の死】です。
今まで自分を取り巻いてきた環境には二度と戻れない
肉身、恋人、子供、すべてと
永遠の別れとなる
そして一人ぼっちで
次の世界へと足を踏み入れていかねばならない
こんなガラッと変わる大きな無常は
私の人生において
他にもうありませんから
仏教では「わが身の死」を
「無常」といいます。
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■お釈迦様の御在世当時のインドでは、
一番恐ろしい存在は虎でした。
虎は獰猛で残酷な動物だそうです。
ライオンはお腹一杯なら
自分の前を獲物が通っても襲わないですが、
虎は満腹でも、目の前の獲物を殺すそうです。
■【無常というは無情なり】
無常は、『情け容赦の無いもの』です。
【死】は待てといっても、
絶対に待とうともしない。
「どうか猶予を下さい」という願いは、
一切聞いてくれない。
どんな非情な借金取りも
「どうかあと一日だけ待ってくれ。こういうあてがあるんだ。」
といえば、
「あと一日だけ待ってやる、何とかして来い」
というかもしれない。
あるいは子供が泣き叫んだら
「明日に出直すか」
と情にほだされるということも考えられます。
しかし『死』は
こちらの思い、都合、
せめてもう1日下さい、ということなど、
おかまいなしだ。
情け容赦なくやってくる。
辞世の句を読む時間さえ与えてくれない
後ろからバチンと突然頭を殴られるように、
『死』はやってくる。
■私が33歳のとき、当時よく利用していた、
東京駅のサンディーヌの店長が
万引き犯を追っかけ、
もみ合った際に
犯人の持っていたナイフで胸を刺され、
死亡するという事件が起きました。
その店長が当時の私と同年齢だったこともあり、
しかもよく利用にていた店で起きた事件だったこともあり、
このニュースには少なからぬショックを受けました。
記事を読んで身が凍るような思いがしたのは、
息子の死に駆けつけたお父さんの談でした。
「息子の顔は、
“えっ、こんなところでオレ、死んじゃうの?”
という顔して死んでいました。」
とありました。
私でも、今日にでも思わぬ事故や事件に巻き込まれて
死なねばならない事態が起きるかもしれませんが、
そのときにはやはり
“えっ、こんな歳で、こんなところで、オレって死んじゃうの?”
と確実に思うだろうなと
ドキッとしたのです。
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一人で急いで行くより、みんなで楽しく行く
自分が笑顔になるほど、出会う笑顔が増える


