きくたんさんから


「この坂を越えたなら

 しあわせが待っている

 そんな言葉を信じて

 越えた七坂

 四十路(よそじ)坂」


都はるみが歌って大ヒットした

『夫婦坂』の一節です。


歌の示すとおり、

人生には越えなければならない山がいくつもあります。


受検戦争、就職難、

リストラ、老いや病魔、

家庭や職場での人間関係・・


今のあなたが当面乗り越えなければならない山は何ですか?

そのことを思うとあなたが「はぁ」とため息つく、

胸が重くなる、そのことです。

それが目の前にある山です。


それを乗り越えないと人生が苦しい、

それさえ乗り越えたら

どんなにか人生は楽になるだろう、

安心できるだろうと思っている、その山。


みなこれさえ乗り越えたら、

と一生懸命乗り越えようとしている。



やっと乗り越え、

一時的にヤレヤレと思いますが、

そこには・・

また次の山が待っているのです。



【この坂を 越えたなら 

 幸せが 待っている】

回りもそのように励まします。


【そんな言葉を信じて】

自分もそんな言葉を信じて

「きっと幸せになれる」と

懸命に越えてみた。



【越えた七坂】

そのように越えてきた坂が七つあった。

言い方変えれば七回信じてきたけれども、

その度にだまされてきた、

ということになりましょう。



それで

【四十路(よそじ)坂~】

40歳になってしまった、

でもまだ坂の途中、

と歌っているのです。


まるで、私の今までの人生を歌われているみたいだな、

と共感する方も多いことでしょう。


四十路坂ならまだしも

「六十路(むそじ)坂~」

とか

「八十(やそじ)坂~」

80歳になって車椅子に乗っていても、

まだ坂を登っています、

とこれが人生なら、

なぜ人間は坂を乗り越え、乗り越え、

生き続けなければならないのでしょう。


やがて坂の途中、山腹で倒れなければならないときが

どんな人にでもやってきます。

なぜそれまで相次ぐ山を乗り越え続けて

人は生きなければならないのでしょうか。

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「生きる理由を教えて」ズバリ示された     親鸞聖人の明答


『坂の上の雲』には

帝国主義列強の争覇のただ中、

日本というまことに小さな国が、

近代国家への道を急速に駆け上った様子が

鋭く描かれています。


その中で司馬遼太郎氏は

当時の牽引車だった人々を

「楽天家たち」と称しています。


「楽天家たちは、

 そのような時代人としての体質で、

 前をのみ見つめながらあるく。

 のぼってゆく坂の上の青い天に

 もし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、

 それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう」

(『坂の上の雲』あとがき一)


「楽天家たち」は国家存亡の危機に立ち向かい、

欧米列強に追いつき追い越せの「理想の雲」のみを見つめ、

ひたすらに坂道を駆け上がりました。


小さな、世界の片田舎のこの国が、

古くからの大国に勝利を収め、

上り切った坂の上で見たものは何だったのでしょう。


それは、「花」でもなければ「果実」でもなく、

実に「雲」であったことを司馬氏は、

苦々しげに友人に、

こうこぼしていたといいます。



「花や果実なら手にすることができる。

 でも、坂の上の"雲"は、

 どんなに手を伸ばしても

 山のかなたの空にたなびいているだけ。

 けっして手が届かない。

 永遠に手が届かない目標なんです」

(『編集会議』平成十六年二月号)



この物語が新聞紙上に連載され、

好評を博したのは、

ちょうど高度経済成長期と

その終焉の時代でした。


所得倍増、三種の神器。

「一生懸命働けば豊かになれる。

 豊かになれば幸せになれる」

と信じ、欲しいものを次から次へと獲得、

暮らしは随分変わりました。


しかし「幸せだ」という実感がわかず、

一層渇く心に、失望と幻滅を禁じえなかったのです。

わき目も振らず上った坂の上で、

読者は司馬氏の先の述懐の真実に、

思いをはせたことでしょう。


それから三十年。

二十一世紀を迎えても、

戦争、犯罪、自殺、暴力、虐待など、

日々報じられるニュースは、

変わらぬ苦しみ悩みの人生の実相を露呈しています。

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キラキラな1日を

ギラギラの太陽と一緒に