黒木さんから
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先週土曜日の全国BBQ大会、
91歳のお嬢様から医者弁護士にいたるまで多士済々が集合
恒例の朝まで延々と続く宴会でした。
来年は、7月30日(土)!! で~~っす (*^_^*)v ~♪
芝生の上、プールサイドの木陰に集まって自己紹介
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「(口偏に卒と言う字)啄同時(そったくどうじ)」」という言葉がある。
人間、磨けば光を放つ。打てば響く。
禅宗で機を得て両者相応じること、得がたい良い時機を表すとか。
修行僧の機が熟してまさに悟りを開こうとしている時に、
師匠がすかさず教示を与えて悟りの境地に導く絶妙のタイミング
両者の呼吸がぴったり合うことを言う。
教育の師弟関係で、早すぎても力量不足で理解できず、
遅すぎても効果が薄くなる、その時機にも例えられる。
我が家の1300坪の敷地に20数年前から鶏を放し飼いにしている。
世界には様々のニワトリがいるが、正確には小型の雑種日本チャボたちである。
普通の鶏は、そうたやすく高く飛べないから、地表近くでタヌキやイタチ、
犬や猫に襲われて塀の無い山間部の土地では間もなく数が少なくなるが、
チャボは鳥のように身が軽いので高さ30メートルの杉林のてっぺんが格好のねぐらとなっている。
東雲(しののめ)の夜明けとともに、「キャッ、キャッ、キャ-」と鳴きながら
大地に一斉に舞い降りる一日の始まりは壮観だ。
一時は増えすぎて200羽を超えたこともあった。
動物の赤ちゃんやヒヨコは可愛いので子供のおねだりで飼い始めるまでは良いのだが、
大人になるとその愛くるしさも見る見るうちに消え去って後の処分に困る場合が多い。
学校に持ち込むにしても動物園ではあるまいに、限度がある。
あそこは動物が好きらしいと敷地内を道路から垣間見る通行人の間で噂になったのか、
朝起きると見慣れない珍しい鳥たちが混じっていて庭を駆け回っていることがたびたびあった。
捨て猫ならぬ「捨て鳥」である。
あまりにも度重なるようになってきた時には、思い切って
「お金以外は、ニワトリを捨てないで下さい!」と看板を立てたほどだ。
そしたら、どうどうと我が家に電話で打診してきた上で「持ち込み?」が始まった。
もともとほったらかしの放し飼いだから、むげに断る理由もなく、
どんどん種類も豊富に増え始めたわけである。
在日の某大使館で飼っていたという二年連続グランド・チャンピョン獲得の血統書付チンチラ猫の
つがいも預かったし、吠えてばかりでウザイ小型犬、足が妙に長く気位が高いままで
全くなつく様子すら見せない生意気なアフガンドッグなど例をあげればきりがない。
逃げ惑うお客に襲いかかる半ば野生化した七面鳥たち。
七面鳥の名前の通りに色々な顔色に変化させて、
インディアンの踊りみたいに地面をドスドスと蹴り上げて羽を広げて背後からの急襲は、
「まあ、素敵なおうちですね~」とのんびりと深呼吸している者にとっては、
恐怖のあまり、生きた心地がしなかっただろう。
車に逃げこむのに自分の足を出したままドアを思いっきり閉めて、
引きつった顔でしこたま涙を流していた綺麗なご婦人を思い出す。
大きく羽を広げる孔雀、それに次から次に子供を産む超多産のウサギ。
増えすぎて近隣の畑の作物を荒らすと苦情が来たので処置に困り、
遊びに来るお客にはもれなく無理やりウサギの赤ちゃんを押し付けたものだ。
そのおうちは間違いなくウサギ小屋みたいになったことだろう。
アヒルたちは愛嬌があって面白いまでは良かったが、
来たる夏に備えてプールに水を入れている時に問題が発覚した。
地下水をポンプで汲み上げて大きなプールを満タンにするには一週間も掛かる。
四日ほどして、ようやく浅いところで膝上ぐらいまで透明な清水が溜まった頃の明け方、
アヒルの嬉しそうな鳴き声で目が覚めた。
二階の寝室の窓からのぞいてみて驚いた。
アヒルたちが大喜びして競泳大会をやっているではないか!
それどころか、針を落としても探せるくらいに綺麗な水の底には、
とぐろを巻いたウンチが鮮明に形を残したまま点在していたのである。
そのうえ、何を勘違いしたのか七面鳥まで飛び込んで喜々として仲間に加わり、
胸元まで浸かって涼しそうにしているではないか。
「ムカ~、ニャロメ、ブッ殺してやるウ!」とスティールの物干し竿でぶん殴ろうとしたら、
上手い具合に頭を下げてかわされ、ド派手な空振り。
挙句の果てにはペンキ塗り立ての大事なプールの端に竿をぶっつけてコンクリート破片が飛び散る大被害。
プールの水抜き、掃除、修理とペイントのタッチ、そして最初から水入れのやり直し。
夏の間はレンチュウを小屋に閉じ込めるしか方法がないので、
収容所建設作業・・・・国際線フライトの合間にやるような仕事とは誰も想像も付かない毎日だったものだ。
餌をやる主人に群がる大集団は、ヒッチコックの「鳥」さながらの動物天国であった。
引っ越してきた当時の昔と比べると道が舗装されて車の通行量も格段に多くなった。
道路を集団で横断して向こうの山に散策に出かけるニワトリたちが交通事故に遭うことが多くなった。
道路がいつもトリコミ中で苦情も来る。「ニワトリ横断歩道あり、前方注意」と立て看板。
死亡事故があまりにも多発するので、ある日、思い立って立派な大きな小屋を作って、
そこに少しずつ捕まえて押し込むことにした。そしたら一日に数羽ずつ死んだのである。
当初は原因不明であったが、知り合いの獣医から聞いて納得した。ストレス。
生まれたときから自由奔放に外の大地で育ったニワトリたちは、
狭い豪華マンションに適応できなかったと言うのである。
田舎のネズミと都会のネズミみたいな話で、考えさせられるものがあった。
時代の流れとともに周りにも家が増えたりで、かなり環境が変わってきた。
思い切って、ある日一網打尽にして近くの敷地も餌もリッチな農家へお引越し願った。
が、そのうちの二羽だけはとうとう逃げ切り、それがまた増えて現在では30羽ほどになっている。
二羽から再生するほんまもんの二羽トリであろうか。
さて、仕事が「とび職?」だから、チャボ同様に話も飛んでしまったが、元に戻そう。
産卵して孵化するまで森の藪の中で温めるのはメンドリだけである。
他の鳥類はオスも温めるのに参加するのが多いが、
ニワトリのオスはヤリ逃げ的な生き方をしている。
雌鳥は蛇に絡まれ巻ききつかれ、カラスに攻撃され、
それはみているだけでもハラハラの連日である。
二日に一個ずつ卵を産んだにしても、十個産むのに二十日はかかる。
なのに、孵化(インキュベイト)する時には一斉に同じ日に殻を割って出てくる。
二十日間はずれてもおかしくないのだが、
これは横の連絡網を持っているはずもない桜の花が
一斉に咲き始めるのと一緒で、いつも不思議に思う。
何か特殊な波動が自然界に働いているはずだ。
一ヶ月も経たないうちに、卵の殻を内側から雛がつついてくちばしが見え始める。
と同時に親鳥が外からもつつき始める。これが早すぎても遅すぎても雛は育たないらしい。
その両者相応じるタイミングが絶妙なとき、素晴らしいひとつの生命を生み出すことになる。
一度こういうことがあった。最初に生まれたヒヨコが三匹ほど巣から落ちてしまった。
それを発見した親は巣から飛び降りてひよこの保護に出始めた。
間もなく孵化しようと動いている巣の中の卵たちはそのままになっているから、これはマズイと対策を練る。
まだ寒い時季だったので鍋の保温機を使って残りの卵を人工的に温めることにした。
部屋に持ち帰り、段ボール箱の中に親鳥とヒヨコも一緒に入れて孵化させることにしたのである。
結果は不可。
ようやく殻から出ようとしてくるヒナに親鳥は見向きもしないどころか、
私が手伝って殻を破ってあげたヒヨコたちは、
なぜか軒並みに口ばしで目をつぶされて死に絶えてしまったのである。
彼らと会話ができないから、そのいきさつはなんとも説明や理解はできないが、
これは大自然の厳しいオキテというものなのかもしれないと、
痛く思い知らされたのを鮮明に記憶している。
啄(そったく)とはどちらもつつくという意味である。
「(口偏に卒と言う字)」は、雛がかえろうとする時、雛が卵の殻の内側から突くこと。
「啄」は母鳥が外から突付くことを言う。
キツツキはWoodpeckerと英語でも言うように、「Peck」とは、ついばむ、突付く意味。
あるいは軽いキッスも言う。漢字ではまさにそのまま啄木と書く。
石川啄木もキツツキなのだ。
同じような言葉の教訓や意味も、幼すぎたり経験が少ないとなかなかその時には理解できない。
が、様々の試行錯誤や失敗などの人生経験を重ねていくに従って、何かの拍子に琴線に響く、
自分にとってはまたとない示唆にとんだ目が覚めるような言葉を持った人との出会いがある。
これが早すぎても、遅すぎてもいけないタイミングというものがある。
人生は出会いによって大きく変わる。変ることが多ければこそ、人生は有意義で豊かになる。
「切磋琢磨」もお互いが良い意味で競い合いながら磨き高めることを言う。
十数年来の朋よりも、きのう今日会ったばかりの友でもその条件を満たしてくれる人は現れる。
お互いが向かい合うベクトルの対峙ではなく、同じ方向を向くベクトルである。
同じ方向を向いたときに、大自然と言う神様の前では、大きな子供と小さな子供の違いでしかない。
人は良かれと思って行動し、口にする。人は褒められよう、認めてもらおうと思っていつも行動している。
批難や批評を自ら進んで受けようなどと生きているわけでは決してない。
私はスコップで穴掘りから始めて2年半がかりでついにプールを造った。
それまではブロックを積んだこともコンクリートを練る経験もまるで無かった。
掘った土を利用してテニスコートも造ったが、かと言って、泳ぐことも好きではないし、
テニスはラケットもない。
大工さんだって金槌を持って生まれてくるわけではないし、
左官屋さんだって赤ちゃんがコテを手にしているのは見たことがない。
どんなプロも最初は素人である!!
という信念だけが心の頼りだった。
早い話が、一回こっきりの人生で、世に言うところのカッコいい豪邸を造ってみたかったのだ。
ほぼプールが完成した頃に、噂を聞いていろんな友人が見物にやってきた。
一人は、「いやはや、たいしたもんだよ、ハッタリ8割ウソ2割の口先だけのお前だと思っていたが、
良くやったもんだ!」と褒めながら、一方では、
せっかくこんなに広い土地なんだから、もっと向こうの方にこんな形で、こういう風に造ればよかったのに・・・
と無造作に言い放つ。
「それは実にいいことを言ってくれた、じゃあすぐにでも叩き壊して、新しく別の場所に作り直そう!」
と、私が行動を起こすだろうか?
「あんたは、何か作ったことがあるの?」と聞くと、「いや別に何もやったことはないけどさ・・・」と来る。
この手の輩には、我が家に泊まるつもりでお酒持参だった旧友にしても、
すぐにお引取り願いたいことになる。
かたや、「突然の訪問で申し訳ない。九十九里浜まで家族でドライブに来たついでに、
あんたの噂になってねえ、ついでというわけじゃないけど、
その手作りの作品を見せてもらおうと思ってさあ」と、来訪者。
「いやあ、噂では子供用の池みたいなプールを作ったとか聞いていたけど・・・。
これはタマゲタ!本物、プロ顔負けだねえ、
俺なんか、花壇のレンガを3段積むだけで、半年もかかったんだよ。
二年半もかけて作るのも尊敬だけど、凄いの一言だね。
いやあ、尊敬! 素晴らしい! 驚いた! さすが!!
俺もやらなくっちゃ! お父さんも頑張るからね、ママと一緒に見ててね!」
もう一人は自分の今までの無力を恥じつつ、ことを成し遂げた相手を心から褒めあげる。
無意識に言葉を吐く。「吐」は「口」から「+」と「-」を同時に出すことの意。
良かれと思って考えも無しに口にするだけでは人は動かない。
ちょっと意識して「口」から「+」だけを出すように心がけると、それは「叶」になる。
生涯ともにしたい朋とは、それだけの気配りと知恵、機知を持った人であろう。
そうすれば、今夜もまた酒が美味い!
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運は努力が好き。運は努力に集まる
