岩本さんから
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わくわく
には、
本質的なことを言えば
それが人のためになる
人を喜ばせることになることであり
それは天命にかなっているものということ。
「楽しい」は感情に基づくけれど
わくわくは感情の奥底にある魂に基づくものなのですね。
一見、苦労の多いようなことであっても
それをやることに意義を見いだせると
不思議な力がわいてきてわくわくしてくるのです。
そして、自分以外の力も働いて
まるで天が見方をしてくれるように運がよくなります。
そして、働く意義を知ることで、わくわくして一生懸命仕事をする。
わくわくしながら働けば、とても楽しくなります。
こういうときは、まずは氣楽にして、面白そうなことを考えてみるとよいですよ。
仕事にするという視点ではなく、何か面白そうなことを想像してみるのです。
そうすると、いろいろなアイデアが出てくるでしょう。
つぎに、それらのアイデアについて、それぞれの仕事が社会(人)に与える意義を考えてみてください。
あなたの中の素直な心(魂)がわくわくを感じた時、それがあなたの天命にあった仕事だと思います。
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自由
と聞いて、自由とはどういうことか?と問われたら
多くの人が自由に自分の意志で物事を決めることができる
「選択の権利」だと答えるのではないでしょうか?
誰からも強制されることなく、束縛もない。自分の意思で好きなことを選択できる。
選択肢が360度方向、無限にあることだと。
わたしも以前は、自由=選択できる権利だと思っていました。
でも、今は違います。
選択できるというのは、いえ、選択できるからこそ、悩みを抱えることになります。
そして、何かを選ばなければならない状態になります。
選べるということは、選ばなければならないということでもあるのです。
選択肢があるからこそ、何かを選ばなければなりません。
では選択肢がないほうが自由なのか?
これから述べることを、慎重に聞いてくださいね。
選択肢を与えられないために選ぶことができないというのは、もちろん自由ではありません。
それは誰か他人から強制されたり、枠内に閉じ込められた状態だからです。
では、やっぱり選択肢がないより選択肢があることのほうが自由なのか?
それも違います。
選択肢があることは、ある程度の選択の幅が広いだけであって、真の自由ではないのですね。
では、いったい何が自由なの???
混乱させてしまったのなら、ごめんなさいね。
わたしはこう考えるのです。
真の自由とは、選択肢がないことだと。
もっと明確に言えば、自由とは選択する必要がないことと言った方がいいでしょう。
「選ばなくてよい」人生と言ってもいいです。
つまり
自分がやることが明確で、自分の進むべき道がはっきりとしていること。
それをすること以外に道はない状態。
なぜなら、それが
自分の使命であり、生きている証であり、それをすることが大好きで、最高に幸せなこと。
キリストの生き方とは、あの生き方以外に考えられなかったわけです。
釈迦にしても悟りを開いた後の道はあれしかない。
他に考えられないわけです。
世に偉業を残した人たちに共通するのは、
「たられば・・・」という他の選択肢がない生き方であったという点です。
本田宗一郎、盛田昭夫、松下幸之助・・・彼らの人生は他に変えられないです。
ありえないのですね。
例に挙げた人たちが、あまりに偉大すぎてピンとこないかもしれませんが
それは偉大なことを成し遂げた人だけに共通のことではありません。
好きなことをして生きている人、
今の人生が嬉しくて感謝している人は、
今の生き方以外の道など考えることができません。
彼らにとって、他の選択肢はないのです。
その人たちにとって唯一の道である今の人生を一生懸命生きているのですね。
ものすごく幸せな生き方だと思います。
そういう生き方こそが、自由なのですね。
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前に進もうとして転ぶことを恐れるよりも
転ばないようにじっとしていることを恐れる
