キクタンさんから


仏教では、自己の心を「機」といわれます。


■今日の日本語でも使われる例はありますよね。

たとえば、

犯人の「動機」は何か、といったら、

何が犯人の心を動かしたのか、ということになります。


心に「機微」がわかる人だ、という場合は

微妙に動く心がわかる人、ということです。


さて、なぜ機械の「機」が使われるのでしょう。


■どんな機械でも、外から

はたらきかけられて動き出します。


ちょうどそのように【わたしたちの心】も、

まわりの環境とか、周りの人が言った言葉とか、

外からの作用によってどうにでも動き出しますので、

「機」といわれるのです。


多重人格障害はほぼ例外なく

幼児期に受けた虐待が原因だということです。


自殺、殺人、略奪、暴行。

どんなことでもやってしまうような

自分になっていたかもしれません。


いや、これからだって、

どんな環境が自分にやってきて

何がどう変わって何をやるかわかりません。


人は縁がきたら、何をやるかわからない

恐ろしい自己を見せ付けられる事例には、

枚挙に暇がありません。


この人間の実態を理解すると、

深い過ちを犯した人や

打ちひしがれた境遇の人にも、

「自分もこのような縁がきたら、同じことをやるだろうな。」

「立場が変われば、この方の姿は私の姿だった。」

と知らされ、

助けたい、幸せになってほしいという同朋愛が生まれてきます。

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稼ぐために頭があり

使うために心がある