悟りとは捨てることから
徐々に・・・森羅万象の適応においてこれは大切なことである。
が、「茹で蛙」の例にもあるように、熱いお湯に蛙を投げ込めば即座に死んでしまうものを、
水に入れたままから火を通して次第にお湯になっても蛙は気づかずに、しまいには限界に達して茹で死ぬことになる。
環境汚染ではこの例えがよく使われるが、人間の思考回路はどうなっているのか?
「磯笛」という言葉があるが、楽器ではない。
海女が海底から海面に浮上して来た瞬間に、口をすぼめて呼吸をする。
ピューピューと口笛のような、潮騒にまじって波間に漂うもの悲しい音がする。
高圧の水中から出て来る時に、空気中に溶け込んだ窒素が水気泡になって血管に詰まる危険な潜水病を
防いでいるのである。
「磯笛」は一気に肺を開くのを避けて徐々に息をする、ということなのだ。
サミットも開かれたことのある沖縄の国際コンベンションセンターで講演したついでに、
慶良間の島へ生まれて初めてのダイビングに大型クルーザーで出かけた。
沖縄ツーリスト社長の東良和さん。
国際線で一緒に飛んでいた早稲田の後輩だが、途中からコーネル大学に留学し、
父親のあとを継ぐために沖縄に帰り、今や一大コンツェルンまでに育てている爽やかな実業家である。
彼がクルーザーも手配してくれた。
世界屈指と言われる透明度の高い珊瑚礁の海は、エメラルド色に輝き太平洋の波は静かだった。
船中の説明で、"Scuba"とは潜水用水中呼吸装置の略で、フランスの海洋探検家クストーの発明と聞く。
アクアラングは水の肺の意味そのままで、実は商標名であるなどと知った。
締め付けられるようにタイトなウェットスーツを着け、ボンベを背負うと、かなりの重さでよろける。
まずゴーグルをかぶり、細いマウスピースをくわえて、水中で顔を沈める練習から始める。
足元には未知の深い闇の海底が広がり、足場がまったく無い不安で一瞬緊張して船にしがみつく。
息を吸おうとする。が、タンクから出てくる空気が足りない気がして、かなり息苦しくなり、
何度もマウスピースをはずして深呼吸しなおす。タバコの吸いすぎか、はたまた昨夜の深酒のせいなのか、
苦しくてなかなか素直には潜れない。
幼い頃から日本三大急流の球磨川で泳ぎ、我が家のプールでも潜っているはずなのに、
けた違いの深い海で、緊張してうまくいかない。心臓がバクバクしている。
「先輩、すべてを捨てることから始めてください!」
東さんの言葉にハッと気がついた。今まで息を止めて潜ったことはあっても、
水中で器械を使ってそのまま自然に呼吸する経験は無かったのである。
そうかあ、とあることに気づき、もう一度トライして、身体の力をすべて抜く。
水中で大きく、息を吐いてみた。ゴボゴボと大きな泡が吹き出る。
その後、自然に吸ってみる。ボンベの圧力で、スーっと新鮮な空気が素直に肺に入ってくる。
一日に二万回の呼吸をしている人間は、地上では何の意識もせずに生活しているが、
こういう不自然な世界に迷い込むと早めにコツをつかまなければ生死を左右する。
緊張すると、どうしてもより多く取り入れて備蓄しようとする防衛本能が働き、吸うことだけに執着する。
吐かなければ吸えないはずなのに、その前に懸命に吸おうとするから呼吸ができなくなり、パニックになる。
精神が真っ白になることで、何から手をつけてよいのか判断不能の状態。
百聞は一見にしかず、百見は一試にしかず。知っていることと、やれることは違う。
思い切って捨てることから始めよ! の解決の一言コメントだけがあれば、
30分以上の長い解説はよりははるかに有効。
解説よりも、解決。
猿を捕らえる罠の一つに、壷がある。中に入れてある餌をつかんだ猿は、こぶしを閉じたまま開こうとしない。
こぶしがつかえて逃げられなくなる形の、ただの壷である。
手指をのばして、餌を捨てることさえできれば逃げられるものを、握った獲物は離さない
猿の習性を逆手に取っただけのこと。
失うこと、捨てることの難しさは、命ある万物が与えられた永遠の課題であろう。
赤ん坊は何でもこの人生でつかんでやろう、見てやろうと手をニンギニンギして産まれる。
そして人生の終わりには手を開ききる。
_________________
お金を失うことは少し失うことである
名誉を失うことは多くを失うことである
勇気を失うことはすべてを失うことである
ケネディ大統領
